メモ、走り書き、思いつき
真善美
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生きて何かをやっている限り
失敗もすれば間違いも犯す
恥じかけば嘘もつく
傲慢にもなれば卑屈にもなる
傷つけもすれば恨まれもする
かといって何もしないでいると堕落する
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地球の豊かさと余裕の証しとして、進化してきた生き物の最後に、贅沢な贈り物のように生まれ出たもの、それはわたしたち人間
わたしたち人間は、その多種多様な動植物にささえられながらもあたかも余計な生き物のように
着飾った花嫁のような危うさで、この永劫の宇宙からすれば、ほんの一瞬に過ぎない時間を生きる、だから
だからもうはっきりさせよう
意識に自分のことを探求させるとろくなことにならないことを
まずは鏡に映ったわたしからだ、存在する肉体からだ
それから、もうそろそろ無限とか永遠とかという言葉を使うのはやめよう
精神の安定を保つにはとてもいい言葉だが
それに理想とか純粋とかという言葉も同様だ
なんとなく胡散臭いじゃないですか
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こうやって物を書いて、わたしは何の役にも立たないことをやっている。
わたしはいったい何者だろう。みんな気味悪がっているではないか。
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薄暗い流しで、歯を磨きながら、夢のような、悲しみのような思い出を思い返したり。
喜びのような、不安のような未来のことを思い浮かべたりする。
それが今で、ぞれがわたしだ。
だから、今はあいまいでもろく、移ろいやすく、わたしもあいまいで、もろく、移ろいやすい。
わたしたちはどんなにあがいても時空の制約から逃れることはできない。
時空を内包するものにとっては痛くも痒くもないことなのだが。
なぜならそこには極小もなければ無限大もなく。瞬間もなければ永遠もないからである。
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生命を収奪し続ける知性
極限を渇望する想像力
非存在にあこがれる想像力
不可能性に取り付かれた想像力
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告白
現在わたしは一日にたった一行の文を書くために生きているようなものだ
十九歳のとき、わたしは他人が見てないところで手を抜くことを覚えた
二十三歳のとき、わたしは、一人からではわずかだがより多くの人から搾取すればその合計は膨大になることに気づいた
その年の春、人生最後のテストのとき、わたしは周りの学生たちがカンニングをやっているのに初めて気がついた。
しかも恒常的に。そのときわたしは生まれて初めて両親のやましさを感じることなく正々堂々とカンニングをやった。
三十一歳のとき、良い嘘は積極的につくべきだということに気づいた
四十二歳のとき、いやなことはやらなくても、嫌いなものを食べなくても生きていけることに気づいた。
四十五歳のとき、わたしは不労所得を得る快感を味わった。
そして今、わたしは自分にとって本当に都合の悪いことは書かないでいることに気づいた。
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ちょっと前まで、宇宙は無であった。
そしていまも無であり、今後も無でありつづける。
だから、なにが起こっても、痛くも痒くもない。
宇宙は無でありつづけるために、それ自らに無でありつづける条件を満たしている。
それはとてもけっこうなことだ。
だから、光には速度があるともないとも言わないほうが良い。
物質は時空の否定である。
そして、物質は有であるために、それ自らが有である条件を満たしている。
つまり時間と空間なるものを発明すること。
光を時空と言い換えても良い。
時空は光によって成り立つ。
物質は相対的に時空にかかわる。
人類はまだ境界の幻影から抜けきっていない。
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あたりまえなことは、もう死んでしまってこの世にいない人、
名前だけが伝わっている昔の人は、過去に生きなかった、皆現在に生きた。たくましく。
わたしたちは現在を超克することができないというのに。
ただはっきりしていることは、わたしたちの生に対する知恵は、
わたしたち以前の人々より劣っているということである。
そのほうが、かえってわたしたちは慰められるのだが。
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究極は言葉の死、そして、そのよみがえり。
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ビルの屋上にパンが眠る。
その隣の風通しの良いアパートで、
革命家が昼寝をしている。
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動物は死ぬまで生きられるが、人間は死ぬまで生きられない。
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もし、わたしのやることに意味があるなら、
膨張しつづける宇宙は、収縮し始めるだろう。そして、
釈迦像はひび割れ裂けて砕け散るだろう。
それとも、わたしを欲しいのだろうか。
なんという傲慢。
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無は存在のひとつのあり方である。
存在は無のひとつのあり方である。
無と存在は対立しない。
存在と無は同値である。
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闇は自己矛盾に陥っている。
なぜなら光を嫌悪し光を追っ払っておきながら、
今度は自分の姿を見せたいという欲望から、
自らのうちに光をはらむようになるからである。
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わたしにとって好きということは、
・・・・を・・・・することができるということです。
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月と星と太陽を頭に入れて、
その男は大地の上で眠りについた。
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だが、退屈するのは一人でしたい。絶望するのも一人でしたいから。
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覚え書き
交流または交感について固体が自然と接触するとき、連結体となるとき。
わたしはと言葉を表象し世界に挑む。世界は完全個体を認めず、身体との境を設けない。
固体は果たしてどこまで固体でありえるか。
外界は常に脅かし侵入する。
世界と連続する感覚を通して、すべての感覚器官を通して自然と接触すること、自然との融合。
概念でもイメージでも思考でもないもの、あくまでも感覚的なもの、何かを見ること。
感得、体得。
感覚器官は、無機から有機へうつるとき、つまり個体となるとき、有機物に与えられた、無機または有機物への交感手段である。
それは無機物から有機物への贈り物であり、また保障である。
有機物から無機物に帰るまでの担保であり、負債である。
固体としてあるための代償。感覚は有機物の変容であり、物質の流れである。
個体であるためにすべての感覚は世界と接触している。
触覚、味覚、嗅覚、視覚、聴覚への変化。
完全な個体となるため。光も音も物質の流れである。
最初光も音もすべての現象と接触していた。
次に個体の完成度が高まるにつれて空間性を獲得するようになっていった。
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個人的な訓
一日に一回、何か良いことをしよう。
一日に一回、何か悪いことをしよう。
一日に一回、何かに腹を立てよう。
一日に一回、何かを好きになろう。
一日に一回、何かを嫌いになろう。
一日に一回、ばか笑いをしよう。
一日に一回、涙を流して泣こう。
一日に一回、手淫をしよう。
一日に一回、後悔をしよう。
一日に一回、誰かを誉めよう。
一日に一回、誰かに誉められよう。
一日に一回、遠くを見よう。
一日に一回、役者になろう。
一日に一回、嘘をつこう。
一日に一回、見栄を張ろう。
一日に一回、格好をつけよう。
一日に一回、恥をかこう。
一日に一回、母を思おう。
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わたしのやっていることは、いまこうして書いていること。
ほんとうに無意味であまり役立たないように思われる。
でも、その割には頭を使うし体力もいる。
ということは、いくらか創造的なことかもしれない。
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そもそも魂というものはあんまり肉体のことが好きじゃないらしい。そのためか、何とかして一刻も早く肉体から抜け出したがっているようだ。
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この悪魔さえ逃げ出しそうな喧騒の大都会の中で、
原始の静寂を感じ取ることが出きるとしたならば。
わたしという、このやっかいなやつ。
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わたしたちは矛盾の極限と向かい合う死に価値を見いだすことができる。
生命のリズム、肉体のリズム。肉体は正直である。
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自然はひとつの動物ひとつの植物が独りじめするほど貧弱ではなかった。
それならば世界はひとつの考えひとつのシステムが支配するほど単純ではないはずだ。
人間だって間違いを起こさないほど、恥を掻かないほど単純ではないはずだ。
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わたしたちは未来を予測して少しでも雲行きが怪しいとわかると、すぐ不安になる。
なかにはあたかも未来そのものを失ったかのように錯覚して、絶望のあまり憂鬱な警告を発したりする者がでてくる。
無意識のうちにわたしたちは、未来をいまよりは豊かで進んだ社会なっているに違いないと、または、ならなければならないと思いこんでいるようだ。
しかし、もしかしたらそれは、過去の時代はすべて、今よりも貧しくて劣っていると思うのと同じ位に、間違っていることではないだろうか。
ほんとうのこと言って、未来がどうなるかはだれにもわからないのだ。
今より貧しくなっているかもしれないし豊かになっているかもしれない、また良くなっているかもしれないし悪くなっているかもしれない。
というのも、個人にとってはいつの時代でも同じくらいに大変なはずだからだ。
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思考はその宿命的な直進性と無垢性のために、見るからに理性的な紳士面をしながら、人間性を迷妄と独善へとひきづり込む。
知性人間性を成り立たせているさまざまな要素の一部にすぎないのに、自分をその中で最も優れたものと思いたがる。
そして自分をその上に成り立たせている基盤である肉体でさえ支配したがる。
知性はいったい何に仕えようとしているのか。思考ではなく肉体に裏打ちされた人間性に仕える知性を求めよ。
若い恋人たちが、人々から美しく見られようとして、風景の一部になることを望むように、犯罪者が人々から忌み嫌われようとして、罪を犯すというのは倒錯した論理だろうか。
普通人生における決定的な挫折は、若いときに経験するものだが、わたしの場合、もしかして最後の最後に与えられるのかもしれない。
おまえが数十年やってきたことは、無意味で無価値であると、そのときこそわたしを助けてください。
最後の最後まで、そのぎりぎりの極限まで自分であること。
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右翼の車から流れてくるツルタコウジの同期の桜を聞いて、思わず感情が高ぶり涙ぐんでしまうのは少しも不思議なことではないのです。
なぜならキリスト教とでもないのに、聖歌を聞いて崇高な気分になり、思わず涙ぐんでしまうことだってあるのですから。
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神や奇蹟を熱狂的に信じているものはその熱狂さの極限において、もしかしたら自分は最初から神や奇蹟など信じていなかったことに気づかされるに違いない。それならばわたしのように最初から、神や奇蹟を信じていないものは、その不在性を限りなく突き詰めていけば、その極限において現れるものは、虚無のきらめきか、それとも、、、、
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自己変容
美の罠。美に対する倒錯。
色、形、姿、風景は、目をむけたものにだけ入ってくる。
直接的な空間性。あるがままの空間性。
人の声、鳥の声、音、空気の振動は周囲に届くことが前提とされている。
空間性の前提。意識するしないに関係なく、誰にも平等に共通の体験として自然に入ってくるもの。
共同性の獲得。
人間の声はだれにも聞こえるものとして発せられる。
そこには共同性が前提とされている。
物理的実態による伝播現象から進化して、物理的実体のない伝播現象である精神の共振現象へ、または心の共振現象へ。
現実的な対象から遠ざかることによって生まれる美または美的感情。
現実的な関係から退くことによって発生する美または美的感情。
関係性を絶って生きる人間の強さと関係性の中で生きる人間の真の強さ。
無産者と普通の生活者の比較。
昔は一か八か。
今は一か千か。
自分が変わるのが苦痛である人は進歩が止まるだろう。人間は基本的に向上心を持ち創造的であるから。
美、奇蹟、手品を支えているもの。
上昇過程にあるとき、停滞下降過程にあるとき。
美。芸術。想像力。
奇蹟、基本的にありえぬこと。信仰も神も。
手品、基本的に騙されること。飛躍と迷妄。
生き物が同時に二つのことができないという条件のもとで、それぞれが思いのままに行動することによって進化することができる生態系について。
物静かな人にもある爆発的な熱情と鋭角的な執着。
言葉遊び。悪魔に誘惑されて天使に会った。
なぜロシアは崩壊しなかったのか。もしかしたら真にロシアを支配しているのは。
なぜ中国は見え透いた嘘を信じるのか。もしかしたら本当のことを言うと国が分裂崩壊するから。
見知らぬ訪問者に人々は動揺を隠せなかった。なぜなら一見して彼が天使か悪魔かわからなかったからだ。
考えてみる価値があるもの。
Y氏が独裁者のごとく破壊せずにはいられなかったものは何か。
自分自信か自分の業績か、そしていったい何を創造したかったんだろう。
病者の光学。貧者の光学。孤独者の光学。浮浪者の光学。
なぜ進化しなければならないのか、いやすべてが進化しているとは限らない。
肉体、その厳粛な崩壊。存在、その奔放な変遷。
神話と知恵
迷信と誤謬
知性の発達と夢見る力。
夢の力、不合理性の力。
どちらが恐怖か、死か生か。
調和の前提。もし調和がなかったとしたら。
その熱狂的な対象は存在してはならなかった。それとも自分が。
不合理性への憧れ、渇望。
合理性からの逃避。不条理なもの無意味なものへの逃避。
わたしのすべてをあなたに、わたしたちのすべてをあなたがたに。
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大人たちは本当のことを言わない。
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みんな、人それぞれに自然を支配し、服従させて生きているのだから、わたしも花を見て美しいと思う分だけ、そのほんの少しだけ、あるがままの自然より優れていると優越感に浸っても良いかな。
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神が死んだとき、それまで幾度となく、不満そうな表情を見せながらも、神にまとわりつくようにして生き延びてきた悪魔は、完全にその行き場所を失った。追い詰められた悪魔は、その秘められた知恵を働かせ、それまで自分のことを忌み嫌ってきた人間に、あたかも心を入れ変えたかのような振りをして取り入ることにした。そして、特に無垢なものや、誠実なものや、ひたむきなものをことごとく味方につけて、彼らの書斎や研究室に住み始めた。以前は、人間の醜い感情を栄養としていたが、今度は人間の知性を栄養として。そして、長いあいだ自分のことを迫害し、のけ者扱いにしてきた人間に復讐をし始めた。その永劫の時をもってしても、決して癒されることのない深い傷を人間の魂に負わせて。それは、悪魔本人でさえ目をそむけるようなむごたらしい、深い傷だった。
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物質は物質であることから逃れようとして、必死にそれを試みる
そして、あたかもそれが成功したかのように見えるが
だが結局は、逃れたかのような夢を見ているだけ
やっぱり最後は挫折して物質に戻る
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美人、美しくゆがんだ空間
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女房と畳とパソコンは新しいものほど良い
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生、その圧倒的な豊饒さ、そしてその輝きと暖かさ
死、その絶対的な貧困さ、そしてその暗さと冷たさ
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二十一世紀になってのわたしのひそかな、しかもわたし自身にとっては生まれて初めての勝利らしい勝利は、理想主義や理念主義や原理主義など、いわゆるどんな精神主義からも抜け出せたこと。
つまり個人主義や社会主義や人道主義者や人権平等主義者や核廃絶主義者や反戦平和主義者や国連至上主義者や経済成長率至上主義者にもはや悩まされなくなったということ。
それにもうひとつ、自分には永久に不可能だと思われていた英会話が、ほとんど費用もかけずに出来るようになったこと。
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だからなんなのよ、と思わず突っ込みを入れたくなること。
晴れた日の青空
田舎道の街路樹
全国規模の豊作
歌のうまい素人
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未来のあなたに、もしかしたらたった一人にあなたに。
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いつまたあいつが動きだすか判らない、狂気という時限爆弾が。
だれかわたしを助けてください。
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