女子高生からの手紙

 二人は輝いていて、あまりにもお似合いのようにうつりました。
 わたしは気後れしてしまったのです。
 そして、なにも出来ずに、その場から引き返してしまいました。

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    女子高生からの手紙
                 はだい悠 

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  真実の人 香坂先生へ

 公正のために、正義のために、一日も早く真実が明かされ、一日も早く先生の名誉が回復されることを心から願っています。

 わたしは香坂先生が勤務している南高校の女子生徒で、名前は有栖川理香といいます、二年生のセブンティーンです。
 おそらく、たぶん、先生はわたしのことご存じないと思います。
 なぜなら先生の授業、歴史の授業(世界史の授業は三年からですから)を受けたことがないからです。(確か先生の専門は西洋史でしたね。大学では近代西洋史を選考され、特に十九世紀の産業革命について研究されていましたよね。)
 でも、仮に先生の授業を受けているからといっても、すべての生徒のことをいちいち覚えていてくれるとは限りませんよね。
 担任でもないのですから。
 それなら先生がわたしのことを知らないのは当然といえば当然のことでしょうね。
 ただ、わたしが、
「おそらく、たぶん、」
とあやふやに言ったのは、もしかして、先生があの日の朝のことを覚えていてくだされば、というひそかな期待感があったからです。
 覚えてないですよね。
 覚えているわけないですよね。
 しょせんわたしは、千何百人もいる生徒の中の一人に過ぎませんからね。
 ああ、でも、わたしは世界中で一番(先生の家族を除いて)先生のことを知っているのでないかと思っています。
 あっ、こんな緊急のときに訳のわからないことを言ってどうもすみません。
 本当にすみません。
 今は一秒たりとも無駄にできない大切なときなのです。
 今は一刻の猶予もならない貴重なときなのです。    
 今マスコミは言いたい放題です。
 特にテレビのワイドショーはひどすぎます。
 その攻撃的な言葉や表情を見たり聞いたりするたびに、わたしは気が滅入って悲しい気持ちになります。
 わたしはどうしてもマスコミの報道を信じることはできません。
 あれは嘘です。
 でたらめです。
 視聴率を上げるために、面白おかしく大げさに取り上げているだけだと思います。
 でも、このままだと、世間の人々はマスコミの言うことを信じて、先生が本当に罪を犯したということになってしまいます。
 ですから、そのためには一日も早く真実を明らかにしなければならないと思っています。    
 わたしは先生のことを信じています。
 先生はそんなことをする人ではありません。
 先生は正しい人です。いわゆる今回の事件は、あれは何かの間違いだと思います。
 あれはわたしから見れば事件というよりは、出会い頭の交通事故のようなものだと思います。
 絶対に事故です。
 ただ、わたしは本当のことを、真実を知りたいのです。
 そして、そのことを、わたし自身の力で(なにせマスコミは本当に当てになりませんから)世間の人々に知らせたいのです。
 そして、先生にかかっている疑惑を晴らしたいのです。
 ですから、そのためには一刻も早く先生に真実を語っていただきたいのです。
 本当にお願いします。    
 今回のこと、わたしはまず新聞で知りました。
 (わたしは、朝、学校に行く前よく新聞を読みます)
 心臓が止まるくらいびっくりしました。
 夢を見てるのかなと思いました。
 とにかく信じられませんでした。

   有名な高校教師
   歓楽街   
   女子高校生を切りつける
   生徒に人気  
   人望が厚い   
   優秀論文発表   
   ボランティア指導員
   生徒の良き相談相手
   教育委員会では、、、、

  確かこんな見出しと内容だったと思います、というのも、新聞は朝一度読んだきりで、再び手にしていませんから。
 わたしはこの記事を読んだあとで、どうしても納得ができなかったので、心臓をどきどきさせながら、
「これは本当のことなの?これはどういうことなの?」
と質問しながら、父と母に新聞を見せました。
    父、四十五歳は、新聞を読み終わっても、ほとんど表情を変えませんでした。そして、それほど関心を引かなかったのか、これといって何も話そうとしませんでした。

    母、三十二歳は、
「しょうがないわねえ。」
といったきりで、その後、その記事のことにはいっさい触れようとはしませんでした。

 なにか変でした。
 おかしいのです。
 というのも、わたしの父と母は本当はそういう人ではないのです。
 わたしの両親は、社会の出来事や政治のことや子供の教育にとても関心のある人たちなのです。
 それでよく家族同士で政治について話し合ったり、なにか事件があったときには、そのことについてよく話し合ったりします。
 そのとき両親はわたしのことを尊重して、わたしの言うことを一人前の意見としてきちんと聞いてくれます。
 ただし、弟は別です。
 なにせまだ十二歳ですから。
 でも、それなのに、知ったかぶりして、わたしたちの話に割り込んできます。まだ何にも知らない癖にと思うと、ときどきむかつきます。ですから、わたしはそんな両親をとても尊敬しています。
大好きです。
 それなのに、今回のことについてまったく触れようとしないのはとても不思議なことなのです。

 わたしは学校に行きました。
 学校中が絶対に先生の噂で持ちきりだと思っていました。
 ところがそうではないのです、普段と何にも変わらない雰囲気なのです。
 わたしは、みんなは朝から新聞など読む人たちではないから、まだ知らないのだろうと思いました。
 しかし、そのうちに情報が飛び込んだ来て、蜂の巣をつついたような騒ぎになるだろうと思いました。
 ところが休み時間になっても、昼休みになっても、いっこうに先生のことは話題に上りませんでした。
 もちろんどの先生方も今回のことについて一言も触れませんでした。
 ですから普段どおりに淡々と授業は進められ、そして普段どおりに終了しました。
 静かでした。
 わたしにとっては、学校はいつもと少しも変わらないのに、気味が悪いくらいに静かに感じました。
 そしてあまりにも普段どおりなので、今朝新聞で読んだことは、夢だったのかと思ったくらいでした。
 放課後。
 わたしはさっそく、先生が顧問をしている未来女性研究会の部室に行って見ることにしました。
 やはり静かでした。
 不気味なほど静かでした。
 そして、以前は掲げられてあった部室のドアの横の表札がなくなっていました。
 カギもかかっているようで中からは物音ひとつ聞こえてきませんでした。
 暗い予感がわたしの心の中にだんだん広がっていくのが判りました。
 それでもわたしは、まだ半信半疑でした。かすかに希望を抱いていました。
 そこでわたしは研究会の部長をしている三年の星川深雪さんを急いで探しました。
 直接に、本当になにがあったのかを聞こうと思ったのです。
 見つかりました。
 帰るところでした。
 わたしは思わず星川さんの前に立ちふさがり、いきなり話しかけていました。
「新聞に出ていたこと、あれは本当のことなのですか?嘘ですよね。これからどうするんですか?星川さん香坂先生のことを信じていますよね。」
って。
 でも星川さんはわたしに目を向けることもなく、まったく取り合ってくれませんでした。
(星川さんに無視されるのはこれで二度目なのですが)
 というより、先生の事に触れられることが、とても迷惑そうでした。
 わたしは、わたしの心の中で膨らみ始めていた暗い予感がどんどん大きくなっていくのが判りました。
  わたしは急いで家に帰りました。
そして、午後のワイドショーの時間だったので、恐る恐るテレビをつけました。
 
すると、
「  とんだ指導員、
   なにを血迷ったか、
   羊の皮をかぶった、
   教育界に与える影響、
   信頼の失墜、
   ハレンチ極まる、   」
などと、テレビのレポーターが警察署の前から報告していました。
 そのときわたしは、まだ先生の名前を確認していませんでしたが、きっと、先生のことを言っているのに違いないと思い、どきどきしながら思わずスイッチを切ってしまいました。
 でも心臓のどきどきは止まりませんでした。
 二三分ほどして、いや、もしかして先生のことではないかもしれないと思うようになり、確かめなければと、ふたたびテレビをつけした。
 そしたら今度は、前よりも一段と、いやらしい言葉を使い、まるで自分が見てきたかのように、しかも、まるで先生が極悪人であるかのように、恥ずかしくなるような身振りを交えながら、今回のことを事細かに描写しては、先生のことをくち汚くののしり、非難していました。
 そして、
「この香坂容疑者は、、、、」
という話になったとき、わたしはふたたびテレビを消してしまいました。
 そのときの反応は早かったです。
 一瞬のことでした。
 その後、もう一生テレビなんか見るもんかと思ったくらいです。
 暗く絶望的な気持ちの中で、わたしは今度こそ、これは夢ではない、本当のことなんだと認めざるを得なくなりました。
 でも、ところがです。
 しばらくすると、ふと、これは何かの間違いよ、こんなことはあるはずがないと思うようになりました。
 そして、いつのまにか、家を飛びだし、全力で走っていました。
 いや走っていたようです。いや本当は走っていません。
なぜなら、わたしは他の人のように思うように走れないからです。
 たぶん全力で歩いたのだろうと思います。
というのも、そのあいだのこと、家から警察署までのことはあまりよく覚えてないからです。
 気がついたら警察署の中にいたという感じでしたから。
 要するにわたしは、夢中で全力で先生のいる警察に向かったのでした。
 

 今になって冷静に考えれば、すこし無謀ではなかったかとちょっと反省をするのですが、それまでの、大人しいわたしには考えもつかなかったような大胆なことを思いついたようです。
 どこにあんな行動力がわたしに隠されていたのか驚くほどです。
 わたしは警察にいる先生にお会いして真実を聞こうと思ったのです。
 先生はこんな人ではない、何かの間違いである。
 という信念から、先生に直接お会いして、先生のくちから真実を聞いて、世間の人々に知らせようと思ったのです。
 先生の疑いを晴らすのは私しかいない。
 先生をマスコミや世間から守るのはわたししかいないと、本気で思ったのです。
 とにかくわたしは無我夢中でした。
 真剣に自分にはできると信じていました。

 警察の受付の人に、わたしは単刀直入に言いました。
「南高校の有栖川理香です。真実を知りたいのです。香坂先生に合わせてください。先生は無実です。先生はそんな人ではありません。立派な人です。人格者です。」
と。
 すると受付の人は、きょとんとしてよく意味がわからなかったようです。
 たぶんわたしが興奮していて少し早口でしゃべったからでしょう。
 でもすぐに
「ああ」
と言いながらうなづき、笑顔でやさしく、
「そこの椅子に腰をかけて待っててください」
と言いました。
 椅子に腰をかけて待つあいだ、わたしは色々なことに気づきました。
 表の騒々しさに比べて中は意外と平静であったこと。
 そして、警察というところは、いつも緊張感にあふれていて怖いところかと思っていたのですが、署内の人たちは表情がやわらかく、なかには笑顔で話している人たちもいて、なんか気が抜けたような、がっかりしたような変な感じでした。
 ただ、だんだんわたしの緊張が解けていくのがわかりました。
 しばらくして、係りの人がやってきて、ついたてで周りがよく見えないところに案内されました。 そこで詳しく話を聞かされました。
 なぜか係りの人はわたしの言い分をニコニコしながら聞いてくれました。
 それは、今回のことは、マスコミがセンセイショナルに取り上げるほどの大した事件ではないかのようでした。
 最後に、係りの人はこう言いながら親切に教えてくれました。
「会うことはできませんよ。でも、手紙ぐらいは渡してあげますよ。」
って。

 先生がこんなに困っているときに、わたしのような何の力もない、見ず知らずの一女子高生が、手紙を差し上げることは、励ましになるどころか、かえって心の負担となって煩わせるだけのことになるのではないかと不安でしたが、でも、わたしは真実を知りたいのです。
 そして、世間の人々にそのことを知らせて、一刻も早く先生の名誉を回復してあげていのです。
 ぜひ、ご返事をお願いします。
 真実を教えてください。
 わたしは先生のためならどんなことでもします、わたしにはできるのです。
 先ほど、わたしは、先生のこと世界中で一番知っているのではないかと書きましたが、それにはちゃんと訳があるのです。
 わたしが先生を知ったのは、去年の春、南高校に入学してすぐのことです。
 確か四月十二日の朝のことだったと思います。
 わたしがいつものように校門をくぐって歩いているときに、後ろのほうから
「おはよう」
という男の人の声が聞こえてきました。
 わたしはいつも重いカバンを手に持って歩いているので、どうしても前かがみになり、下を向いて歩かなければならないのです。
 それで、その声の人は誰なのか、いったいその人は誰に声をかけたのかが判りませんでした。
 それに、それまでは、歩いているときに声をかけられるようなことはまったくなかったので、わたしなのだろうかと思う反面、いやわたしではない、きっと他の人に違いないと思いました。
でも、なんとなく気になり、前を見、横を見ましたが、誰もいません。
 そこで、からだのバランスを崩さないようにして後ろを見ると、やはり誰もいません。
 ただ、校門のわきに香坂先生が一人立っていました。
 そして笑顔で、わたしのほうを見てこう言いました。
「元気を出して」
と。
 元気って、わたしはいつも元気よ、って。
 そのときは少し反発を覚えながら再びそれまでのように歩いていました。
 でも、わたしが下を向いて歩いていたので、元気がないように見えたのも仕方がないかなと思いました。
そして、そのうちに、だんだんとてもうれしくなってきたのです。
 なぜか不思議なほどうきうきした気分になりました。
 こんな些細なことで、こんなに楽しい気分になるなんて、自分でも信じられないくらいでした。
 その日からわたしは、先生のことについて調べることに夢中になりました。学校の勉強の次に夢中になりました。もちろん一人でひそかに調べました。なぜなら、他にも先生のことを素敵とか格好良いとか言う女生徒がいたからです。だが、彼女たちは、先生の外見的なものに惹かれて騒いでいるだけで、わたしから見れば、それは、不純で軽薄以外の何者でもありません。わたしはそういう彼女たちと一緒にされたくありませんでしたから。もちろん先生は格好よく素敵だと思います。それに、正直言って、先生が人気あるということは、なぜか嬉しいことでした。
 そして次のようなことが判りました。
 名前は香坂正義。年齢二十七歳。担当教科世界史。
 それから、出身地、出身大学、家族構成。
 現在駅の近くのアパートの一階に一人で住んでいることなどがわかりました。
 そういえば一度だけ、わたしが家に帰る途中に、少し遠まわりをして、先生のアパートをこっそりと見に行ったことがあります。
 駅に近い割には静かな雰囲気のところでした。真新しい二階建ての清潔感にあふれたこじんまりとしたアパートでした。
 小さな庭のプランターには、春の美しい花が咲いていて、先生にはふさわしいところだと思いました。
 でも、なぜか干してある洗濯物につい目が言ったのを覚えています。
 その他ににも色々なことが判りました。
 身長や体重や好きな食べ物、好きな女性のタイプなども。
 それにもっとも大事なことも判りました。
 それは先生が、未来女性研究会の顧問をしているということです。
 最初先生が世界史を教えているということを知ったときは本当にがっかりしました。
 なぜなら世界史の授業は三年からなので、後二年待たなくてはならないと思ったからです。
 でも、未来女性研究会に入れば、すぐにでも先生に会えると思いました。
 わたしは体育系は初めからだめだと思ってましたから、その研究会が具体的に何を研究しているのかも、ろくに調べもせずに、とにかくまず、入ることだけを考えました。
 そして部室の前まで行ったのですが、どうしても中に入ることができませんでした。
 先生と三年の
(当時は二年)星川深雪さんが笑顔で話しているのを目にしたからです。他にも女子生徒がいたと思いますが、でも、なぜか、わたしの目には、二人の姿しか入ってきませんでした。それは他の者が
(わたしを含めてですが)
まったく入り込む余地のない美しい世界の光景のように見えました。
 二人は輝いていて、あまりにもお似合いのようにうつりました。
 わたしは気後れしてしまったのです。そして、なにも出来ずに、その場から引き返してしまいました。
 星川さんは本当に美しい人だと思います。成績も優秀だそうです。
 その後、先生については、先生が新聞に投稿された投書を読んでさらに詳しく知りました。
 だいたいの投書の内容は、現代のマスコミは、高校生のだめところや悪いところばかりを取り上げているので、ちゃんと社会に関心をもち前向きに生きている高校生もいるというところを、もう少し取り上げてほしいというものでした。
その通りだと思いました。同感でした。

 次に先生についてさらに詳しく知ったのは、先生が顧問していらっしゃるあの研究会が発表したものが、コンクールにおいて文部大臣賞の優秀賞のひとつに選ばれたときのことです。
 これは八十パーセント以上は、先生の指導によるおかげではないかと思います。

 次に先生についてもっと詳しく知ったのは、ある有名な教育財団が公募した懸賞論文で、先生が最優秀賞に選ばれたときです。
 学校内ではそれほど話題にならなかったようですが、わたしは自分のことのようにうれしかったです。わたしはひそかにその論文を手に入れて読みました。
 わたしはその内容のすべてに共感しました。
 特にわたしたちが大人になっている二十一世紀の新しい女性の生き方や、新しい男女関係のあり方についての内容は夢のように感動的でした。

 要約すると、確か次のような内容でしたね。
 二十一世紀には、今日よりももって民主的だ公正な社会が実現しているだろう。
 それと共に女性を物や道具と見る社会風潮もいっそうされ、女性差別を禁止するあらゆる法律や社会環境が整備改善され、男性と女性が、政治の場でも職場でも、家庭の中でも、より対等な関係になっているだろう。
 そして長いあいだ理想とされてきた一夫一婦制が完全な形で大多数の人々のあいだで実現しているだろう。
 ただし、人々が何もしないでいて自然とそうなるのではなく、人々が今以上に社会や政治に関心をもって、健全で明るい社会の実現に向かって日々努力しなければならなく。
 そして、今の若者は、大人たちから、気力がないとか何を考えているのかわからないとか、色々と批判されてはいるが、ほとんどの若者はそのためには決して努力を惜しまないだろうというものでしたね。
 先生の本当の姿、本当の素晴らしさがあらわれている論文だし思いました。
 非難ばかりするだけの他の大人たちと違って、今の若者たちを信頼し、その気持ちや悩みを心から理解し、決して見放さないという先生の暖かい思いやりが、論文のいたるところにあふれています。 先生ははっきり言って他の先生方とは違うと思います。
 きっと人並み以上に本を読み勉強をし、人とは違った何か特別の努力をなされた方だと思います。 先生はこんな学校でくすぶっているような方ではないと思います。

 もうこれで十分ではないでしょうか。もうこれで先生は無実であることが十分に証明されていると思います。先生があのようなことをする人ではないということを何度でも言いたいのです。
 声を大にして言いたいのです。
 ですから今回のことは絶対に何かの間違いです。
 わたしはふと、先生の華々しい活躍を妬んだ誰かが、先生のことを落とし入れたのでないかと思うときもあります。
 もしそうだったら、先生負けないでください、戦ってください。
 でも、これは、もちろんわたしが、テレビニュースの半分を信じての話ですが。
 先生が善意で注意したのに、それを逆恨みした不良女子高生が暴力的な態度に出たために、それを抑えようとしたはずが、何かにはずみで思わず傷つけてしまった。そうでしょう、香坂先生。
 絶対にそうだと思います。
 それなのにマスコミは一方的で、間違った報道をしています。

 なぜ、警察やマスコミは、夜の繁華街で、派手ミニスカートなどはいてチャラチャラした不良女子高生の言い分だけを聞いて、先生のように立派な仕事をなされ、名声もあり、ボランティアなどで社会に貢献している人の言い分を取り上げないのでしょう。
 なにか変です、とっても変です。
 変といえば、今日一日のわたしの周りの人々もみな変でした。
 なこんなに大騒ぎをしているのに、校長先生を始め、他の先生方も今回のことに関して一言も触れようとしませんでした。
 生徒たちもまったく話題にしませんでした。
 朝のニュースを知らなかったせいもあるでしょう。
 それでも少しぐらいは話題になってもいいはずでした。
 もうあきれるほどの女子高生の無関心さなのでしょうか。
 ですから、何事もなかったかのように授業は進み、学校もいつもと変わらぬ雰囲気のまま終了したのも無理からぬことなのかもしれません。

 変といえば、香坂先生はまだ悪いと決まってないのに、未来女性研究会が存在していなかったかのように、廃部にしようとする雰囲気にあるのは明らかに変です。
 星川深雪さんの態度も変でした。
 あれは明らかに先生とはもう関係がないという態度でした。
 わたしにはどうしても、その豹変振りが納得できません。
 みんな面倒なことには関わりたくないという態度が見え見えです。

 警察も変でした。表ではあんなに大騒ぎになっているのに、係りの人には緊張感がなく、真剣さはあまり感じられませんでした。
 変といえばわたしの父と母も同様です。
 前にも言いましたが、わたしの両親は社会の出来事や政治や教育にとっても関心があり、積極的に意見を言う人たちなのです。
 それなのに今朝の両親の態度にはわたしは納得ができません。
 他の大人たちとは違っていたはずなのですが。
 わたしが今こうして生きていられるのは本当に両親のおかげだと思っています。
 わたしは生まれたときから体は小さく病気がちで、小学校に入るまでうまく歩けませんでした。
 小学校に入っても色々な病気のため、休みがちになり、体力もだんだん弱まっていき、勉強にもついていけなくなりました。
 でも、わたしの父は、それまで勤めていた会社をやめて、自由な時間をより多くもてる仕事につきました。
 それは自由にいつでも、わたしに勉強を教えたり、わたしの健康を維持し体力の回復をはかるために、わたしとて一緒に遊んだり運動するためでした。
 とにかくそのころはわたしを中心に生活が動いていたようです。
 そのおかげで人並みに歩けるようになり、勉強も遅れるようなことはなくなりました。
 そして十分に小学校に行けなかったにもかかわらず、無事中学校に入ることが出来ました。
 でも、その当時のことは、正直言って、実際、つらく苦しかったです。
 とにかく初めのころは、勉強も運動も嫌で嫌でたまらなく何度も泣き出したことがありました。
 でも両親の励ましや慰めの言葉によって、なんとか続けることが出来ました。

 そのうち徐々に両親はわたしのためを思ってやってくれているんだなあと強く思うようになりました。
 そして勉強も運動も楽しいものに変わっていきました。
 ですから中学校に入ってからの嫌なこともそれほど苦にはなりませんでした。
 たとえばいじめなどですが、わたしは集団でいじめにあったことはありませんでしたが、よく聞こえよがしに容姿のことを言われたりからかわれたりしました。
 でも、決してめげませんでした。
 つらいことや苦しいことに慣れていたせいもあるでしょうが、なんと言っても、父と母の言葉がわたしをがんばらせたのだし思います。
 あるとき父と母はクチをそろえたようにわたしに言いました。
「学校が嫌ならいつでも止めても良いのよ。また小学校のときのようにわたしたちが教えてあげますから、一緒に勉強しましょう」
って。
 また次のようにも言ってくれました。
「これからの時代は、女性一人でも生きて行けるように、たくましさを身に付けなければならないの、そのためにはうんと勉強をしなければならないの、勉強さえしていればなんにでも成れるのよ」と。
 また次のようにも言いました。
「なるなら社会に役に立つ職業が良いわね。理香ちゃんは頑張りやだから医者か弁護士がふさわしいんじゃないかしら」
と。
 ですから、その後なにがあってもつらく感じることはありませんでした。
 いざとなったら、わたしには、誰よりもわたしのことを大切に思ってくれている両親が、いつも見守ってくれていると思うようになったからです。
 いじめについてはもう少し言いたいことがあります。
 わたしは中学校に入るといじめに会いました。
 でも、わたしの場合、マスコミで報道されるように、集団で無視されたり暴行を受けたりするというひどいものではありませんでした。
 毎日のように笑われたりからかわれたりするといったようなものでした。
 それは、わたしのことを名前でいわずに、あだ名で言ったりわたしの容姿や動作を表現して言うものでした。
 たとえば、チビとかホームベースとか、がに股とか、鏡のない国のアリスなどと、ひそひそと言う者もあれば、すれ違いざまに聞こえよがしに言うものなど様々でした。
 またあるときには、わたしの歩き方の真似をして、笑っている人たちを見かけたこともありました。
 またあるときには、わたしがみんなの前で意見を言ったりすると、意地悪そうな目で必要以上にわたしのことをジロジロ見ている者もいました。
 それはまるで、わたしが意見を言うことが、意外だ、信じられない、許せないと言わんばかりに、不満そうな表情にあふれていました。
 それでもわたしは負けませんでした。
 学校に行けなかったころのつらさに比べたらたいした苦痛ではなかったからです。
 それに笑いたいやつは笑えからかいたいやつはからかえと、半ば開き直っていましたから。
 そういうなかでも、いじめが執拗で悪質なときは、わたしは近づいて行って、文句があるのかと言わんばかりに睨み付けました。
すると、そいつらは
「怖い、怒られた。」
とか言って、笑いながら逃げだすのです。
 本当に頭にくるというか、憎たらしいというか。
 でも、それだけなのです。
 それでおしまいです。
 わたしはなぜか他のいじめられっこのように自分を追い詰めませんでした。
 たぶんわたしには、そんなことにはかまっていられないという思いが心の片隅にあったのかもしれません。
 なぜならわたしの健康は完全に回復しているわけではなかったからです。
 いつまた悪くなるかもしれなかったのです。
 それでそんなことにエネルギーを使っている余裕はなかったのです。
 わたしには医者か弁護士になる夢があります。
 はっきりとした目的があります。
 その目的のために健康な今の時間の一分一秒を惜しんで一生懸命勉強しなければならないのです。 わたしはあなたたちとは違うのですといつも思っていました。
 そして、一生懸命勉強するということには、同時に、わたしは肉体的には明らかにいじめっ子にはかなわないので、成績で上位に立って見返してやるんだという意味が含まれていました。
 そして、事実その通りになりました。
 そのときの優越感はなんとも言えないほど心地よいもの出した。
 その後、わたしに対するあからさまないじめは、だんだん少なくなっていきました。
 ついでに少し付け加えたいことがあります、いじめから抜け出せない人たちについての感想です。 私に対するイジメがそれほどひどくなかったというせいもあるでしょうが、どうしてもイジメから抜け出せない人たちは、自分から進んでそういう状態に陥っているように感じます。
 でも、なんと言っても、わたしがいじめを乗り越えることが出来たのは、どんなことがあっても、わたしの父と母がわたしの背後から、わたしのことをずっと見守っていてくれているという思いがあったからです。

 ところで、これは今回のことやいじめとはまったく関係がありませんが、変な話のついでに、不思議といいますか、不可解といいますか、なんとも奇妙なさびしい体験について書かせていただきます。
 今年の六月。
 先生が指導された未来女性研究会の研究論文が、文部省が主催するコンクールで優秀賞を受けられましたね。
 そのときわたしは、なにがなんでも今度こそ絶対に入部するぞと決心しました。
 二日後に校内で、受賞報告をかねて、その研究論文の発表会があるということだったので、その日まで待つことにしました。

 その日、わたしは、星川深雪さんの立派な発表態度や、研究論文の内容に感激したせいか、報告会が終わるとすぐわたしは、星川深雪さんの後を追いかけていました。
 一刻も早く入部したかったのです。星川さんはすでに女性とたちに囲まれ楽しそうに歩いていました。
 追いついたわたしは、興奮していたさと思います、思いつめていたと思います、周りの女性とたちを押しのけるようにして前に出ると、いきなり言いました。
「大変素晴らしい報告会でした。感動しました。わたし入部したいのです。お願いします。」
と。
 しかし、星川さんがわたしに目を向けたのはほんの一瞬でした。
 そして、わたしが目の前に存在していないかのように、周りの女性徒たちと、中断された話を再び続けながら歩き始めました。
 でも、なぜかわたしは、それ以上何もすることが出来ませんでした。
 群れをなして移動していく星川さんたちを呆然と見送るだけで、もう追いかけることは出来ませんでした。

 そのとき、わたしには、それが希望に満ちた華やいだものではなく、冷たく寂びしい悲しい光景のように映っていました。
 というのも、わたしはほんの一瞬でしたが、星川さんのわたしを見る目に、形容しがたいものを感じたからです。
 それは予想もしなかったことでした。
 信じられないことでした。
 星川さんの目は、わたしを苛めた人たちとはまったく違うものでした。
 いじめっこには、意地悪そうな生意気そうな憎たらしそうな、はっきりとした感情が表れていました。
 でも、星川さんの目は冷えた目というか、感情のない目でした。
 それはまるでテレビカメラを知らない人がテレビカメラを見つめるような目でした。
 あのときいったいなにが起こったのでしょうか。
 だれか悪かったんでしょうか。
 わたしにはよく判りません。
 ただ、星川さんは冷たい人でないことは確かですから、話の輪に突然入り込んだわたしが悪かったのかもしれませんね。
 結局わたしは再び入りそびれました。
 なんか今回のこととは直接関係のない余計な話だったかもしれませんね。
 こんな大変なときに本当にすみませんでした。
 ああ、ようやく夜が明けてきました。
 長かったというか短かったというか、でも、先生への大切な手紙を何とか書き上げることが出来そうです。
 うまく書き上げることが出来るかどうか本当に不安でした。
 なぜなら、夜の恐怖とも戦わなければならなかったからです。
 本当に怖かったです。
 なにせ、徹夜するのは始めてですから。
 今も弟の金属バットをひざの上においてあります。
 深夜の家の中がこんなに怖いとは思いませんでした。
 突然、誰もいないはずの居間のほうからパシャッと音がするのです。
 心臓がどきどきするのです。
 その音が気になって何にも手につかなくなるのです。
 そこでわたしは居間に行き、ありったけの電気をつけて、音の原因を調べるために、居間中を目を凝らして見まわすのです。
 そして、それでも判らないので、今度は部屋の隅から隅まで、かがんだり、はいつくばったりして、徹底的に調べるのです。
 その間は、ただひたすら、ゴキブリが出てこないことだけを願っていました。
 結局、その音の正体は分かりませんでした。
 でもふと気づきました。
 ああ、もしかしたら、金魚かもしれない、水槽の金魚がはねたのかもしれない、きっとそうに違いない、氏と思うと、なんとなく安心して再び手紙に取り掛かることが出来るようになりました。
 しかし、しばらくすると、今度は家の外のほうから、コツコツと誰かが歩くような音が聞こえてきました。またどきどきしました。
 ふたたび何も手につかなくなりました。
 そこで、窓のカーテンをそっと押し広げて外を見ました。
 しかし、その後いつまでたっても、誰の姿も、何かが現れるような気配もありませんでした。
 そこでわたしは、よく家の周りを近所の猫がうろついているのを見ていたので、あっ、そうか、きっとそうに違いないと思うようになりました。
 するとまたなかとなく安心して、再び手紙に集中することが出来るうになりました。
 そのうちに今度は、家のあっちこっちから、ビシッ、ビシッという音が聞こえてきました。
 でも、今度はそれほどびっくりしませんでした。
 まあ、何かの音だろう。
 音もする時はするんだ。それに幽霊に人が殺された話は聞いたことがないと思うと、それまでのように何も手につかなくなるというようなことにはなりませんでした。
 しかし、深夜二時を過ぎたころでした。
 どうにも耐えられない物音が聞こえてきました。
 それは家の中を誰かがミシッミシッという音を立てて歩いているような感じでした。
 それは聞こえるか聞こえないかのかすかなものでしたが、決して気のせいでありませんでした。家族の足音ではないことはハッキリしています。家族のものならもっと大きいはずですから。
 わたしは寝てる弟の部屋からバットを持ち出し、家中の電気をつけ、恐る恐る、しかし、誰かがいたら戦う覚悟で、家の隅から隅まで調べまくりました。
 でも、結局、その音の正体をつかむことは出来ませんでした。
 その後も何度かその物音は聞こえてきました。
 そのたびに、わたしは、部屋にカギをかけ、布団をかぶって寝てしまえば、どんなに楽かもしれないと思いました。
 でも、どうにかして先生を助けてあげたいという思いと、ずっと左手で握っていた弟の金属バットで、どうにか恐怖を乗り越えることが出来ました。
 でも、もう何があっても安心です。
 外の景色がハッキリとわかるくらいに明るくなってきました。
 先生への大切な手紙を書き上げることができそうです。
 いまは満足感でいっぱいです。
 ようやく手紙も終わりに近づいてきました。
 一分一秒を惜しんで、先生の励ましになることだけを、先生の手助けになることだけを書かなければならないという大事ときに、わたしの個人的なことや、家族のことや、その他関係無いことを、ダラダラと書いてしまったことを本当にお詫びします。
 この手紙が先生を困らせたり、とまどわせたり、また先生の心の負担にならないことを心から願っています。
 わたしはすでにもう何度も言いましたが、でも、何度でも言います。
 わたしは先生の無実を信じています。
 あれは事件などではなく単なる事故です。
 なにかの間違いなのです。
 偶然の出来事です。
 もしかしたら、誰かが先生を陥れようとしたのかもしれません。
 私は、まじめそうで整った顔をしている先生がそんな人ではないことは誰よりも知っています。
 先生は正しい人です。
 理想を持っている誠実な人です。
 先生はボランティア活動などで社会に貢献している立派な人です。
 先生は未来への考えをしっかりもっている人です。
 先生は他の先生方よりも、はるかに生徒のことを思い、生徒に信頼されている人です。
 マスコミは先生の真の姿を知らないのです。
 きちんと調べもしないで、ただ視聴率を上げるために、真実を捻じ曲げて面白おかしく報道しているのです。
 このままでは先生はほんとうに悪者にされてしまいます。 
 ほんとうに危ないです。
 一刻の猶予もならないのです。
 わたしはなんとしても世間の人々に先生の真実を、今回のことの真実を知らせたいのです。
 そして、先生にかけられている疑惑を晴らしてあげたいのです。
 そのためには、先生からの、真実について語られた言葉、お手紙がぜひとも必要なのです。
 お願いです。こ迷惑かもしれませんが、絶対にご返事ください。それさえあれば、わたしは絶対に世間の誤解を解き、先生の無実を証明することが出来るのです。
 わたしには自信があります。またそれが出来るのはわたししかいません。
 なぜなら、わたしは心から先生の無実を信じているからです。
 わたしは世界中の誰よりも先生の真の姿を知っているからです。

 わたしの周りの大人たちは、みんな今回のことについてはあまり触れたがらないようです。
 面倒なことには関わりたくないという、事なかれ主義でしょうか。
 でも、わたしにとっては何でもありません。
 先生のためならわたしには何でも出来るのです。
 真実を求める気持ちがそうさせるのでしょうか。
 だって、現にいま、そのおかげで、夜の恐怖を乗り越えることが出来たのですから。
 もう、わたしは、先生をののしったり非難する、耳を覆いたくなるような言葉を聞いて、悲しい思いをしたくありません。

 最後にもう一度お願いします。
 先生への疑いを晴らすために、世間の人々に真実を知らせるために、ぜひご返事をください。
心からお願いします。
 公正のため、正義のために、一日も早く真実が明かされ、一日も早く先生の名誉が回復されることを心から願っています。

 私のような見ず知らずの者の手紙に貴重な時間をさいて下さいまして本当にありがとうございました。
      世界でいちばん先生を尊敬している女子生徒 有栖川理香より
  
  真実の人   香坂先生へ 
        ・・・・・・・・・・・・・・・・・

   

    なによりも心からの感謝をこめて お礼の返事を

 
          心の美しい理香さんへ

 本当に過ごしやすい季節になりましたね。
 きっとこのときを利用して、元気にますます勉学に励んでいられるんでしょうね。
 有栖川理香さん。
 心のこもったお手紙本当にありがとう。
 わたしはようやく青い空をきれいに感じることができるようになりました。
 これはたぶん、あなたのお手紙による、わたしへの励ましと信頼によるものではないかと思います。
 そのあなたからのお手紙ですが、だいぶ行き違いがあったようです。
 本来なら一日でわたしのところに届いてもいいはずなのに、手紙の日付から見て、わたしの手元に届くまでに、なぜか一週間もかかったようです。 
 その考えられる原因としては、理香さんが手紙を直接警察に持っていったことや、わたしが三日目には警察を出て、その後実家や自分のアパートではなく、大学時代の友人のところに居たということにあったようです。
 遅くなって本当にごめんなさい。 
 さぞややきもきされたでしょうね。
 実はあなたのお手紙を読んだ後、返事を出そうか出すまいか少し迷いました。
 でも、こんなに真剣にわたしのことを信じ励ましてくれるあなたに対して、何の返事も書かないのは大変失礼なことだと思いました。
 ただ、今回のことを、まだ整理が出来ていなく、あのときいったい何が起こったのかを、正確に記述するにはもう少し時間が必要だと感じていました。
 事故当時
(理香さんの意見に大賛成ですので、わたしもあのことを事件ではなく事故ということにします)
その事故当時ですが、そのときはそれほど興奮していたというか、気が動転していたというか、 そういう訳では決してなかったのです。
 とにかく奇妙なことや納得の出来ないことの連続で、一週間たってもまだ気持ちの動揺が残っていたようでした。
 でもあなたのお手紙のおかげで元気付けられ、だいぶ気持ちも落ち着いてきて、あの事故のことを冷静に客観で気に見つめることができるようになりました。
 それで今日ようやく、あなたのお手紙を受け取ってから一週間後に、あなたに返事を書くことになりました。
 その前にここで理香さんに謝らなければならないことがあります。それは、あなたのお手紙には、ある朝の出来事が書いてありましたが、わたしは懸命に記憶の糸を手繰り寄せて、そのことを思い出そうとしましたが、どうしても思い当たる節がなしのです。それであなたがどういう姿かたちをしているのかまったく思い浮かべることは出来ません。
 本当にごめんなさい。生徒が千何百人もいるからなどということは言い訳にもなりませんね。
 指導者として失格ですね。
 でも、あなたのお手紙の内容から、あなたは純粋で、勉強好きで、誠実で情熱的で、大変心の美しい魅力的な女性とに違いないと、かってに想像させていただきます。
 わたしはあなたのような生徒が好きです。
 将来の目標も持たずに、ただ受験のためにだけ勉強しているものが多いなかで、あなたのように明確な目標を立て、それに向かって一生懸命勉強していることは大変素晴らしいことだと思います。
 ぜひ夢をかなえるために頑張ってください。
 かげながら、これからもずっとずっと応援しています。
 それからあの事故のことで、他人同様のわたしのことを信じてくれて本当にありがとう。
 警察にいたとき、その署内の雰囲気や刑事の態度から、だいだいは予想していましたが、あなたのお手紙から、あの事故のことがどのように報道されていたのかを、それよりは正確に想像できました。
 でも、正直言って、もう少し詳しく知りたかったです。
 というもの、あの日以来、わたしはテレビも新聞も見ていません。
 それに今はもう、みんなあの事故のことは忘れたかのように、テレビでも新聞でも何の報道もされていませんので、わたしはいまだにそのとき自分がどのように報道されていたのか知らないのです。 それは決して知るのが怖いから知ろうとしないということではなく、理香さんが指摘したように、知ることによって、世間の人々が喜びそうなその一方的な報道に対して、わたしが憤慨したり悲しんだりして自分を見失うことは、明らかに今後のわたしのためにはならないと考えているからです。 
 なぜなら、世間の熱狂が収まった今こそ、世間の誤解を解くために、冷静に対処しなければならないときだからです。

 理香さんの厚い要望にこたえて、今すぐにでも、あの事故の真実を明からしたいのはやまやまですが、その前に、その真実ということについて少し一般的なお話をしたいと思います。
 あの事故を経験して、わたしはなにが真実なのか、何が虚偽なのか、そして、果たして真実というものは、ひとつだけなのか、ふたつ以上あることはないのか、などと深く考えさせられました。
 警察でわたしの前に座った刑事は、最初は傷ついた女子高生の言い分を百パーセント信じているからなのでしょうか、あたかもわたしが極悪人であるかのように、冷ややかな表情と高圧的な態度で、なかなかわたしの言い分に耳を貸そうとしませんでした。
 そして、翌日になっい、改めてそのぶっきらぼうな口調から、女子高生の被害状況とその言い分を聞かされたとき、わたしは、あの事故の全責任はわたしにあると思っている刑事の先入観をくつがえすことは、並たいていの頑張りでは到底不可能であることをつくづく感じました。
 絶望感で血の気が失せていく思いでした。
 しかし、刑事もあの事故の異様さや不可解さに気づいていたのでしょうか、それにはわたし自身の終始冷静な態度と話し方が影響したのでしょうが、時間がたつにつれて、だんだんわたしのいい分にも耳を傾けるようになりました。
 そして、わたしが高校の先生をしていることや、わたしがやっいるボランティア活動を知るにいたっては、表情は和らぎ態度も高圧的ではなくなりました。
 やがて、最後のほうになると、おたがいに笑顔を交えて話せるような関係になりました。

 このように誰一人として理解者のいない孤独な状況下で、疑惑を晴らし、真実を明らかにするということが、いかに大変であるかということがお判りいただけたと思います、このようなとき、まず第一にしなければならないことは、周囲の人々の怒りの視線や暴言にくじけてしまいそうになる気持ちを気力で奮い立たせながら、あくまでも冷静な話し方と毅然とした態度で、勇気をもって、その人々の偏見や先入観を排除するということです。
 しかし、もし仮に、周囲の人々の偏見や先入観を排除できたとしても、その事柄に関わった直接の当事者の感じ方や受け取り方は人によって様々です。
 みんな自分を守るためでしょうか、自己を正当化したいがためでしょうか、自分に都合の良いように受け取り感じます。
 そのために、その言い分は当事者によって、いつもほとんどが正反対なものになりがちです。
 この場合、どちらかが真実を言って、どちらかが嘘をいっていると、はっきりとは言いにくいものがあります。

 どちらも嘘を言ってるとも言えるし、どちらも真実を言ってるともいえるのです。
 このような状況下で、誰がいったい真実を明らかにすることが出来るのでしょうか。
 目撃者でしょうか、いや、目撃者はあまり当てにならないことが証明されています。
 目撃者には当事者の心理的感情的側面は判りませんから、その目撃談というのは、しょせん外部から見た印象に過ぎません。
 また、当事者の心理的感情的側面を知らない分だけ、そのときの自分の主観や情感に流されやすくなり、その目撃談が正確さを欠くことがしばしばです。
 ではいったい誰が?神様でしょうか?
 でも、今問題にしているのは現実の事柄なのです。
 信仰の問題にすりかえるべきではありません。

 なぜこんなにも真実を明らかにすることが難しいのでしょうか。
 少し前に、当事者の感じ方や受け取り方は様々で、その言い分はいつも正反対なものになりがちだと言いましたが、ここで具体的な例をお話したいと思います。
 年齢も職業も思想信条も様々に異なる老若男女が入り乱れて生活している都会では、ときおり不可解な光景に遭遇することがあります。
 それは、わたしが大学で講義を受けているときのことでした。
 遅れて入ってきたその学生は、ある学生のそばに歩みより、いきなり持っていた本でその学生の脳天を思いっきり叩いたのです。
 そのときの音といったら、何しろ静かな雰囲気の講義でしたから、すごいものでした。
 バシッと教室中に響き渡りました。
 でもそのあと何事も起こりませんでした。
 叩かれたほうはそれほど表情も変えず、何の抗議もすることなくそのままの姿勢で座っていました。
 叩いたほうも少し顔を高潮させてはいましたが、何事もなかったかのように少し離れた席に座りました。
 講義のほうも、そのことがあまりにも一瞬の出来事であったためか、気のせいであったかのごとく、その後も淡々と進められました。わたしはあっけにとられたというか、我が目を疑った言うか、その音のすごさからして、その後の静けさはなんとも拍子抜けのするものでした。
 いったい二人のあいだには何があったのでしょうか?どんないきさつでそうなったのでしょうか?
 わたしには判りません。
 しかし、一人の男が一人の男の頭を思いっきり叩いたということは紛れもない事実なのです。
 この目で確かに見ていましたから。
 では、いったいなぜそのような暴力行為が、白昼堂々と、誰にもとがめられることもなく、傍若無人に行われたのでしょう?

 これからはわたしの推測になります。
 たぶん二人は友人同士で、今朝起こす約束をしていた。
 ところがその約束は果たされなかった。
 そのために一人の男は抗議に遅れて来た。
 そして、そのことを責めてもう一人の男の頭を叩いた。
 でも、ここで、果たしてそれは、公衆の面前で頭を叩くほどのことなのだろうかという疑問が沸いてきます。
 それはそうですね。それでは、別の推測をしてみます。
 たとえが二人は三角関係の当事者だった。
 なるほどありそうですね。
 もっと他には、二人にはもつれにもつれた金銭的なトラブルがあった。
 なるほど十分に考えられます。
 また他にも、こんなことが考えられます。
 たとえば、叩かれた男は、叩いた男の陰ぐちを言ったり、悪い噂を流したとか。
 しかし、すべてわたしの推測に過ぎません。
 依然として一人の男が一人の男を叩いたという事実だけが残っています。
 ただし、わたしの推測のなかで確からしいのは、二人は友人であろうと言うことです。
 なぜなら、もし二人が友人でなかったのなら、そのままでは済まなかっただろうと思うからです。いや、もしかして、それさえも断定できないかもしれません。
 わたしはあくまでも単なる第三者に過ぎませんから。
 本当に外から見ただけで、真実に近づくというのには心細いものがあります。
 
 次にお話するのは、電車の中の出来事です。
 座る席はほとんど埋まっていて、立っている者も車両の中で数名ほどで、混んでいるとは言いがたい状況でした。
 わたしの斜め向かいにサラリーマン風の青年が座っていました。
 そしてその前に夫婦と見られる中年の男女が立っていました。
 ところが突然でした。
 その中年の男はなにやらその妻らしい女性に向かったつぶやきながら、その青年の組んでいたひざあたりを殴ったのです。
 なぐられて脚がほどけたので、その青年は再び組みなおします。
 すると、その中年の男はまた殴るのです。
 そして青年もまた組みなおすのです。
 二度三度とそれが繰り返されました。
 その間、その青年はそれほど表情を変えず無視しているようにも見えましたが、その中年の男は、ときどきその妻らしい女性になにやら話し掛けている、その不服そうな表情からして、明らかに怒っているようでした。
 いったいなにが起こっているのでしょうか。
 後はもう推測するしかないのです。
 つまり、その中年の男は、電車の中で脚を組んで座っているのはマナー違反であると思っているので、それで、それに違反している青年に怒っているのです。
 おそらく、その青年はそのマナーのことを知っていたのでしょう。で
 も、ぞれはあくまでも電車がひどく混んでいる時のことで、今のような状態ではマナー違反にはならないと思ったのでしょう。
 それに、そのマナー違反を注意するだけのように、それほど混んでもいないのに、わざわざ自分の前に立っているものから注意されるのは、納得がいかないと思うのも当然のことかもしれません。それで、無言の抵抗をしていたのかもしれません。
 それとも、その男女には、わたしには判らないような、なにか恨みでも以前からあったのでしょうか。それとも、その男女はただ単に席に座りたかっただけなのでしょうか。
 いや、もしかして、彼ら三人は親子で、親が我が子に注意していたのか、いやいや、そうではなさそうです。
 とにかく、わたしにはそれ以上何も判らないのです。
 次のお話はエスカレーターに乗っていたときの出来事です。わたしの前に、高校生の男が両手を手すりにかけ、バランスをとるようにして乗っていました。
 そのとき後ろから、階段のように歩いて前に乗っている人々を追い越してきた二十代半ばの女性が、その高校生のところにくると、その手すりにかけていた手を無言のまま叩くように勢いよく払いのけると、そのまま追い越して上がって行きました。
 その高校生は怒りというよりも、非常に戸惑ったような表情をしていました。
 いったい何か起こったのでしょう。 
 ここからはまたわたしの推測になります。
 おそらくその若い女性は、エスカレーターの右側は急いでいる人のためにいつも開けておくのがマナーであると思っている人なのです。それでその高校生のあからさまなマナー違反をとがめる意味で手を叩いたのでしょう。
 では、なぜその高校生は戸惑ったのでしょうか。
 おそらくその高校生は、そのマナーを知らなかっただけでなく、それとはまったく別の、子供のころから聞かされていたマナーによって頭の中が占められていたかもしれません。
 つまり、たとえそれが聞き間違いであったとしても、エスカレーターでは遊んだり飛び跳ねたり歩いたりしてはいけないというアナウンサーによって、その高校生は、エスカレーターでは大人しくして乗っていなければならないとずっと思っていたのかもしれません。
 わたしにはそれ以上のことは判りません。
 ただし、その後、その高校生が、その若い女性を追いかけていって、後ろからドロップキックを食らわせる光景を目にしなかったことは幸いでした。

 少し前にも書きましたが、このように、年齢や職業や思想信条だけでなく、文化や習慣や家庭環境や、その場にいたるまでの自分の感情が様々に異なる老若男女が入り乱れて生活している都会では、いたるところに誤解や行き違いの種が転がっており、一触即発の危険な状態に常にさらされているのかも知れません。

 次に、これまでは人と人とのトラブルについて述べてきましたが、人の行為が時と場所によってはとんでもない印象を与えてしまうという例についてお話しましょう。
 もし理香さんが野原に行ってカエルを捕まえてきて自分の部屋でこっそりと、ナイフでカエルの腹を切り裂き腑分けしていたらどうでしょう。
 それを見たお母さんの目にはきっと異様で気味の悪い光景のようにしか映らないでしょう。そして、あなたの将来のことを思うと不安で不安でたまらないでしょう。
 でも、あなたにとっては、将来医者になりたいという夢もあり、純粋な気持ちで、昔学校でやったカエルの解剖をもう一度やって、もう少し詳しく知りたかっただけでそんなに異様でも気味の悪いことだとは思わないでしょう。では、いったいどこが違うのでしょう。
 それは学校という公の場で、みんなが見ているところで、社会から認められているものとして行われるカエルの解剖であるから、異様にも気味の悪いものにも見えないのです。
 もし理香さんが台所で、まな板の上の魚に同じ事をしたら、きっとお母さんに喜ばれるでしょうね。

 それでは次に、あるものがその存在する場所によって、どのような印象を与えるかについてお話したいと思います。
 先ほど、ちらっと台所での包丁のことが出てきましたので、その包丁ついてお話したいと思います。
 包丁は普段は、といってもほとんどですが、台所の包丁置き場にあるか、まな板の上にあるか、それともお母さんの手の中にあるか、どちらかです。
 もちろん、お母さんの手の中にあるときは必ずといって良いほどお母さんがまな板に向かっているときですが。

 では、さて、あなたが家に帰ったときに、もし、居間のテーブルの上にぽつんと一本の包丁が置いてあったら、あなたはどうしますか?おそらくあなたは、なんとなく不安な感じがして、ひとまずその包丁を、台所の本来あるべきところにもって行って置くでしょう。
 そして、なぜあそこにあったのだろうか、誰がいったいあそこにおいたのだろうかと、色々と思いをめぐらすでしょう。その間は決して不安な気持ちは収まることはないでしょう。
 もし、そこにおいてあったのが新聞だったら、何の不安も感じることなくそのままにして置くでしょう。
 でも、もしその新聞が、十二歳の弟の机の上においてあったら何の疑問も抱かずに、そのままにしておくことが出来ますか。
 きっとあなたは、なぜそんなところに新聞があったのかを納得がいくまで究明するでしょうね。

 このように物にはそれが存在するにふさわしい場所とふさわしくない場所があるのです。
 ではいったい誰がこれを決めるのかというと、その物でないことは確かですね。
 物はあくまでも中立ですから。ではだれが、それは人間です。
 それぞれの文化や習慣のなかで生活している人間が主観的に決めるのです。
 それゆえ、もしあるものがそれにふさわしい場所にあるときは人間の気持ちのなかに何の変化も起こりませんが、ふさわしくない場所にあるときは、不安がられたり不気味がられたりするのです。
 そして、そのものがなぜふさわしくない場所にあるかという本当の理由を知る手立てがまったくなく、不安や不気味さの感情に支配されている状況では、あとは想像力で対応するしいなく、その結果邪推や早合点や先入観によって、的外れな意味付けをしたりして、現実をゆがめてしまいかねないのです。
 今まで長々と述べてきましたが、このように、誤解や行き違いが生じやすい社会の中で、自分では正しいと思うことが、他人から見れば間違っているように思われたり、他人の想像力によって、かってな意味付けや邪推にさらされたりしながら、真実を明らかにするということが、いかに難しいかということがお判りいただけたと思います。
 そろそろあの事故のことについて、真実を述べなければならないときがだんだん迫ってきているようです。
 だがその前に、理香さんからいただいたお手紙の内容について少し触れさせていただきます。
 手紙では、わたしが故意に女子高校生を傷つけるような人間ではないことや、わたしの無実が繰り返し繰り返し述べられていましたが、そのことに関しては深く感謝しています。
 どれほどわたしを励まし元気付けてくれたでしょうか。
 本当にありがとう。
 でも、わたしが、社会に貢献している立派な人間であるとか、わたしが他の先生たちより優れていてこんな学校にはもったいないなどと言われるととても恥ずかしく思います。
 少し買いかぶりすぎだと思います。わたしはごく普通の平凡な人間です。
 手紙には、いっぱい本を読んで人並み以上の勉強をしたのではないかとかかれてありましたが、まったくそのようなことはありません。
 ごくありふれた目立たない少年であり青年でした。
 新聞に投稿したのはほんの思いつきで深く考えた末に行ったことではありません。
 まさか取り上げられるとは思いませんでした。
 未来女性研究会の指導顧問になったのは、女性の生き方に特別の問題意識や関心があったからではなく、成り行きに近いものがありました。
 懸賞論文に応募したのもその延長線上のことであったようです。
 本当に優秀賞に選ばれるなんて夢にも思いませんでした。
 ボランティアで青少年の相談員をするようになったのも、わたしが積極的に手をあげてなったわけではなく、各高校から現役の先生が二名ほど参加してほしいという教育委員会からの要請があり、それにはわたしがふさわしいのではないかということで選ばれたようです。
 ただ、成り行きでやることになったといっても、決していいかげんな態度でのぞんでいた訳ではありません。生徒を指導するときも、相談相手として悩みを聞いてあげるときも、懸賞論文を書くときも、睡眠不足になりながらも、休日を返上し、誠実に一生けんめい集中して対処してきたつもりです。

 このようにわたしは、普通の先生いわゆる普通の大人と少しも変わっていません。
 何も特別なことはありません。
 それでもあえて違うといえば、生徒を指導している立場上、生徒の手本とならなければならないという考えがあるからでしょうか、生徒に対してこれは良くないこと、これはやってはいけない事と言っていることは、わたしの身の周りからなるべく遠ざけるようにしていました。
 自分がやっていたのでは、生徒に説得力を持ちませんからね。
 たとえば悪書といわれるものや、酒やタバコとか、用もないのに夜の繁華街をうろつくことなどですがね。
 それらをのぞけば普通の大人とまったく同じです。

 それではついでに、わたし自身に関することをもう少し述べさせていただきます。
 あれからもう二週間たっていますから、もう知っているかと思いますが、高校のほうは退職することにしました。
 あの事故のことは直接関係がありませんが、でも多少きっかけぐらいにはなったと思います。わたしは以前から現在の高校教育のあり方には疑問をもっていました。
 たとえば受験勉強にかたよった授業内容などです。
 いや、理香さんのように明確な目標を持って勉強をしている人は別ですよ。
 それはとても素晴らしいことなのです。
 そうではなくて、点数で人間の順番をつけたり、有名大学に入学者数を競うことが唯一無二の価値になっていて、ほとんどの人がその価値を信奉していることが問題なのです。

 わたしはこの際この絶好の機会を利用して、自分というものを見つめなおすと共に、自分の視野を広げて自分の理想とする社会の実現に貢献するために、もう一度歴史や社会について基礎から勉強をしなおしてみたいと思っています。
 そして、いつの日か教育評論家か社会評論家に成れれば良いなあと思っています。もちろんその前にあの事故のことについて解決しなければなりません。とりあえず今は雑音を排除して、そのことの解決に向かって全力を尽くしたいと思っています。

 それからですが理香さんにお願いがあります。
 理香さんはもうこれ以上このようなことに関わってはいけません。
 あなたはただひたすら目標に向かって勉強に励まなければなりません。もうわたしに関わってはいけません。あとは大人たちに任せてください。
 ですから手紙もこれで最後とさせていただきます。
 わたしの住所も不明とさせていただきます。あしからず。

だいぶ遠まわりをしたようですが、ついにあの日に起こったことをお話する時が来たようです。理香さんが切望するように、これが真実であると、だれでもが納得できるように明確に述べたいところですが、先ほども言いましたように、当事者というものは自分を正当化したいがためでしょうか、どうしても自分の都合のいいように受け取りがちですので、わたしは当事者というより、目撃者的な視点にたって、あの事件のことを出来るだけ冷静に分析して、客観的に記述することに勤めたいと思います。
 その上で理香さんに何が真実であるかを判断していただきたいと思います。
 幸いにも、あれから相当時間がたっていますから、あのときの微妙な心理や感情の動きを具体的に思い起こしても、分析の妨げとなるようなことはありませんが、そのぶんだいたいの気持ちと何が起こったかについては、ほぼ正確に思い起こすことが出来ます。
 あの日はいつものように穏やかに始まり、そしていつものように、心地よい疲労感だけを残して、充実した一日が終わる予定でした。それなのになぜあのような凄惨な結末になってしまったのでしょう。あの日わたしは、決してされを飲んでいたとか、学校で嫌なことがあっていらいらしていたとかというのではありません。 
 それにあの日はいつもよりは、特別に冷静で理性的であることが要求されていた建設的でより充実した一日でもありました。
 それなのになぜ、正直言ってわたしにはわかりません。
 夢を見てるような運命のような一日だったのです。
 人によっては、わたしが日ごろからそんな欲求をもっていたのでないかと思う人もいると思いますが、とんでもないことです。
 むしろ逆です。
 わたしの普段の言動からすれば、あのようなことは非難の対象となることはあっても、欲求の対象となることなど、決して夢想だにしなかったことなのです。
 わたしから見れば、偶然に偶然が重なった不可抗力のように思えて仕方がありません。
 なぜなら、あのときわたしがカッターナイフを持っていたのはあくまでも偶然に過ぎません。
 アパートで使用する用事があったのですが、別にあの日でなくてもよかったのです。
 帰り際、外の景色に目をやっているときに、ふと思いつき自分の机の引き出しから取り出して、なんとなくポケットに入れたのです。
 そんな些細なことから、いったいだれがあのような結末を予想できるでしょうか。

 あの日学校を終えた後、わたしはある会合に向かいました。
 それは警察の主催する会合で、現代の青少年の問題について、各分野から色んな人に参加してもらって、幅広く多面的に話し合ってもらおうとするものでした。
 参加者は警察の他に、教育委員会の人、改革に熱心な政治家、青少年のファッションや風俗を研究している大学の先生、マスコミ関係者、そして、ボランティアの相談員や現役の教師など様々でした。ですが、わたしにとってはほとんどの人が顔見知りといっても良いくらいでした。

 まず初めに、警察から、現代の青少年を取り囲む社会状況と、その青少年たちが抱える悩みや問題について、また彼らの非行と犯罪の実例とその件数を統計的にあらわした表をもとに、その時代的な背景や意味、そしてその移り変わりについての講義を受けたあと、では、その彼らの問題や悩みを解決するためには、さらに彼らが非行や犯罪に走らないようにするためには、社会は、というよりもすべての大人たちが、どうすれば良いのか?何をしなければならないのか?
 などと真剣に活発に、参加者全員なら意見が述べられながらも、終始冷静に論理的に議論が進められていきました。
 その内容は非常に具体的で従来になく建設的でした。
 そして、その会合が終わったあと、わたしたち参加者は有志を募り、少年課の人から二三の注意と指導を受けたあと、補導員とともに、そんな若者がたむろする夜の繁華街へと出かけていきました。

 わたしたちは三・四名のグループに分かれ。
 私服で歩いてはいるが、どう見ても中学生や高校生にしか見えない若者に近づいて行って話を聞きました。

 最初わたしたちのグループには補導員がいなかったので、しかも警察のような強制力も持っていなかったのでどことなくぎこちなく、それに、慣れていないせいもあり、対象を絞りきれずなかなかうまく行きませんでした。それでも、ぜひお話を聞かせていただきたいという低姿勢で臨むようになると、何とか足を止めて話をしてもらえるようになりました。
 それでも彼らの年齢や不満を聞いたりするだけで、そのあとは、なるべくこんな所を歩かないほうが良いよ、と注意を与えるぐらいでした。

 でも、そのうちにだんだん慣れてくると、補導員のように、ふた言み言で思うように若者たちを引き止めたり、歩きながらでも話が出来るように出来るようになりました。
 そしてついには行きつ戻りつしながら、あるときは立ち止まりながら、またあるときは、まるで正式な補導員のように歩きながら、のびのびと思いのままに数多くの若者から悩みや不満を聞くことが出来ました。

 そんなとき、わたしは、人ごみの中を歩いてくる二人の若い女性が目にとまりました。
 女性と言ったのは、彼女たちは一見して大人のような服装や化粧をしていたからです。高いかかとの靴、原色のミニスカート、肌が透き通って見えそうな上着、ふさふさとした髪の毛、赤い唇、大きなピアス。
 しかし、よくよく見ると、その顔立ちや仕草からして、十七、八の高校生のようにしか見えません。
 
 わたしのそばを通り過ぎわうとしたとき、わたしは彼女たちと並んで歩き始めました。
 普段ならそれほど気にもとめずにやり過ごしてしまうのでしょうが。
 実はこのとき一人だったのです。というのも、どういうわけかすでにその前から仲間を見失っていたのです。でも、なぜかそのことをあまり気にしていませんでした。

 少女たちは香水の匂いを振り撒いていましたが、どう見ても、似合わない、だらしない、清潔な感じがしないという印象しか与えませんでした。
 本来の高校生がもっているような純粋さや清楚さからは、遥かにかけ離れた存在のようにしかうつりませんでした。わたしは歩きながら彼女たちに声をかけました。
「君たちは高校生だね。そうだね。どこの高校?」
 すると一人は舌打ちをして言いました。
「「関係ねえだろう。」
 もう一人も言いました。
「うるさいんだよ。」
 なんと言う口の聞き方をするんでしょう。
 わたしは驚くと共にあきれてしまい思わず歩みを止めてしまいました。
 けなげさやひたむきさや誠実さなど、ひとかけらも持ち合わせていない少女たちなのでしょうか。 日頃接している女生徒たちとはどれほどの隔たりがあることでしょう。
 わたしは少し遅れて彼女たちのあとを追いました。
 二十メートルほど行ったところで交差点に差しかかりました。
 一人は横断歩道を渡り、もう一人は角を曲がりました。
 わたしは角を曲がった少女を追いました。
 その通りは、前の通りよりも照明も少なくやや薄暗いところでした。
 人影もめっきり少なくなりました。
 わたしは追いつくと、並んで歩きながら再び声をかけました。

「ねえ、ちょっと話を聞かせてもらいたいんだけど。良いかな。気味は高校生だよね。高校生がこんな時間にこんな所を歩いているのはよくないよ。」

「うるさいよ。あんたには関係ないでしょう。なんなのよ、あんたは」

「わたし?わたしは先生、高校の先生」

「あっ、そう、先生なの。へえ、じゃあ、先生なら良いの?ここは学校じゃないわよ。関係ないんじゃない」

「関係ないことないよ。君のこと心配して言ってるんだ。なんて格好して歩いているんだ。高校生は高校生らしくしないとだめじゃない」

「うる、さい。もう。うっ、るっ、さっ、いっ。いや、もう。ねえ、こっちに来て、ここじゃ人に見られるからね」

 そう言いながら少女は通りよりもさらに薄暗いビルに方へ歩いていきました。そして柱の影に立ち止まると、何を思ったかわたしに、

「これあげるからね」

と少し笑みを浮かべながら言って、名刺大の紙切れをわたしの手に握らせました。
 わたしはそれにチラッと目をやりながら受け取りましたが、少女の少しも誠実さも一貫性も感じられない気まぐれな言動に戸惑うばかりでした。
 わたしは自分の気を引き締めると共に、とにかくここあくまでも冷静に冷静にと自分に言い聞かせながら再び彼女に話しかけました。

「こんな所をうろついちゃだめでしょう。お母さんやお父さんが心配するでしょう」

「だっていないもん。寂しいんだもん」

「ふざけないで、まじめに答えなさい。こっちは真剣なんだから」

「あっ、怖い、そんなに怒らないで」

と少女は体をくねらせて甘えるように言いました。

 わたしは、わたしが日頃接している女生徒たちとは比較にならないほどの違いを、その精神性も協調性も創造性もまったくと言って良いほど、少女は持ってないことを痛烈に感じていました。

 そのときわたしは、自分にもう一度言い聞かせていました。

「とにかくここは冷静に、理性的に」
と。
 そして、わたしはふとあることに気づきました。
 それまで肌が透けて見える上着であることは判っていたのですが、その下に、つまり肌に身につけているのはブラジャーだけであるということが判りました。
 それは色もデザインもそうとう派手で、値段も高校生には手が届きそうにないくらいに高そうで、明らかに高校生の彼女にはふさわしくない代物でした。

「こんな格好して恥ずかしくないの?」

「だって、楽しいもん。どう、似合うでしょう」

「ぜんぜん似合わないよ。高そうじゃない。お金はどうしているの?」

「ひみつ。良いでしょう。もっと見たい?」

 そう言いながら少女は上着を広げわたしにブラジャーを見せました。
 わたしは言いました。

「だめだこんなもの着てちゃ、君はまだ高校生なんだからふさわしくないよ。脱ぎなさい」

「いやよ、こんなところじゃ、人に見られるわ」

「なにを言ってるんだ君は。良いから脱ぎなさい」

 そう言いながらわたしは、彼女の胸のあいだに手を入れてその派手なブラジャーを取ろうとしました。
 わりと簡単に手が入りブラジャーをつかむことが出来ましたが、彼女は驚いて大声をあげて両手でおさえたので、すぐにそれを取ること出来ませんでした。
 わたしはかまわず力を入れて引っ張りました。
 それでも取れないので、わたしはポケットからカッターナイフを取り出してそれを切り取りました。
 そして次に、その原色のミニスカートもふさわしくないと思っていたので、それも切りました。
 でも、スカートは肌に密着していたので、彼女の太ももを傷つけてしまったのです。

 いつもと変わることのない一日の始まりからして、いったいだれがこのような結末を予想しえたでしょうか?
 これがわたしから見たあの事故のことについてのすべてです。
 紛れもない事実です。ですから理香さんには、これらの事実を踏まえた上で、また、前にも言いましたが、真実の解明にあたっては必ずと言って良いほどに付きまとう問題点を考慮したうえで、第三者的な立場を守り続けながら、あの事故の何が本当の真実であるかを、より厳正に判断をしていただきたいと思います。
 どのような結論になるかはすべてあなたに任せられています。
 なお、蛇足になることを恐れずに付け加えますと、わたしが意図的に彼女をを傷つけようとしたのでないことが、これでお判りいただけたと思います。
 もちろんわたしが彼女を傷つけたことは事実ですし、深く反省もし、心から申し訳ないことをしたと思っています。
 それに当然のことですが、人がどんな服装をしていようが、それはその人の自由なのですから、他人がとやかく言う筋合いのものではなく、ましてや、その人にふさわしくないとかってに決め付けて、とんでもない余計なお世話というべきで、あれは明らかにわたしのあやまちです。
 ちなみに、あの派手なブラジャーや原色のミニスカートは予想通り安い物ではなかったようです。 刑事の話では、それで紛れもない器物破損罪にあたるということです。

 最後に、わたしから理香さんに心からのお願いがあります。
 このたびの出来事のことは出来るだけ早く忘れてください。
 そして、わたしのことも忘れてください。あなたは純粋な人です。
 これ以上このようなことに関わってはいけません。
 わたしはあなたの心が傷つくことをとても恐れています。
 あなたは他の事を何も考えてはいけません。
 あなたはあなたの目標にむかって勉学に励んでください。
 これがわたしの心からのお願いです。
 では、最後に、あなたに心からのお礼を言わせてもらいます。
 ほんとうにわたしのことを信じてくれてありがとう。
 あなたの言葉に励まされ元気付けられました。
 ほんとうにありがとう。
 あなたがずっとずっと健康でいられることを心から祈っています。

    さようなら、ほんとうにありがとう。   心の美しい人へ