無姓

  
でも、残された家族の生活はほとんど変らなかったのですよ。 
 なぜなら、子供たちがゲンアニの生きる知恵を受け継いでいたからですよ。 

   * * * * * * * * * * * * * * * * *
      無姓     
              はだい悠

   * * * * * * * * * * * * * * * * *

 いつの頃のことになるのでしょうか。
 
 その山間の村には、夫を亡くした農婦がひとりで住んでいたのですが、突然、長いあいだ家出をしていた息子が帰ってきたのですよ。
 その母は、息子が久しぶりに帰ってきたとき、その姿を見て喜んだというより、その変り様に、とても途惑ったのですよ。
 どうしても十六年前に家を出た自分の息子と同じ人物には見えなかったからですよ。

「三ヶ月前、親父が亡くなったことを聞いた」
と言ったきり、それ以上何もしゃべろうとしない息子を見ながら、その母は、
「でも、声には確かに聞き覚えがある」
と思いながら、目の前に居る男が自分の息子であることを確信したのですよ。
 
 母は六十歳、息子は一人息子で三十四歳、名前はゲンサク。 
 その母にとって、息子が帰ってきたということは本当にありがたいことだったのですよ。 
 というのも、夫の死後、わずかばかりの田畑を耕しながら、なんとか食いつないできたのだったが、これからどんどん老いていくばかりで、先のことを考えると、とても不安で不安でたまらなかったからですよ。 

 そしてゲンサクのおかげで、生活が本当に楽になったのですよ。 
 というもの息子は大変な働き者になっていたからですよ。 
 家を出る前は、とにかく反抗的でおしゃべりで理屈っぽく、それに、ろくに野良仕事も手伝わなかったのに、今は何を言われても、ただ微笑みながら、亡くなった夫のようにひたすら仕事に励んでいるだけだったからですよ。 
 それで、その母は、しばらくのあいだは、こんなにも変るものだろうかと、本当に不思議な気がしていたくらいなのですよ。
 
 それから数年、二人は他の村人とも仲良くしながら、何不自由なく暮らしていたのですが、あるときその母は、ゲンサクに何の相談もなしに、切り株のような顔をしてはいたが、丈夫そうな女を、突然連れきてたのですよ。 
 でも、ゲンサクは何の文句も言わずに、ただ微笑みながらその女を妻として受け入れたのですよ。 

 やがて年を経るたびに、男の子、女の子、男の子と次から次へと子供が生まれたのですよ。 
 そのため家族の生活は年を追って苦しくなるはずたったのですが、ゲンサクはどんなときも、いつもののように顔に笑みをたたえながら、それまで以上に仕事に励んだので、家族の誰もが、ひもじい思いや惨めな思いをすることはまったくなかったのですよ。 
 そのためかゲンサクはいつしか、家族から、さらには村人からも、親しみを込めてゲンアニと呼ばれるようになっていたのですよ。
 
 それから何年かして。

 いつも美しい着物を着ていて、村人からは《選ばれた人たち》とか、《高貴な人たち》と呼ばれている者たちが、ゲンアニの住む村に来て、村人を集めて言ったのですよ。

「人から物を盗んだり、人を傷つけたりすることは良くないことである。もしそういう悪い人間がいたら私たちが代わりに罰するから引き渡すように。それから何か困ったことがあったらお互いによく話し合い助け合いあってって解決するように」
と。

 それを聞いて他の村人たちは話しにくそうになにやら小声で話し始めたのですが、
 でも、ゲンアニだけは少しも表情を変えずに、そして、ときおり遠くを見つめながらただ微笑みながら聞いているだけだったのですよ。 
 というもの、物を盗んだり傷つけたりする悪い人間は、それまで村ではあまり見たことはなく、それに何か困ったことがあるときは、もうすでにみんなで話し合い助け合いあって解決していたのだから、ずいぶん不思議なことを言うもんだと思ったからですよ。

 それからしばらくして。

 いつも美しい着物を着ていて、村人からは《選ばれた人たち》とか、《高貴な人たち》と呼ばれいている者たちが再び、ゲンアニの住む村に来て、村人を集めて言ったのですよ。

「みんなが大切に思っているカミ様が住む家を建てるから、ぜひ協力して欲しい。私たちは土地と材木を用意するから、みんなはお互いに話し合い助け合い、そして協力し合って作物と人手を提供するように」
と。 

 それを聞いて村人やゲンアニは言われるがままに協力したのですよ。
 そして建物が完成すると、《みんなと違う着物を着た人》が紙に書いた文字を見ながら、みんなと違う話し方で話をするのを聞きながら、村人みんなでその完成を祝ったのですよ。 
 でも、ゲンアニだけは少しも表情を変えずに、そして、ときおり遠くを見つめながらただ微笑みながら聞いているだけだったのですよ。 
 というもの、他の村人たちのほとんどが酒を飲んだときのような表情で、秋の収穫以上に、その建物の完成を喜んでいるのを見て、とても奇妙な気がしたからですよ。

 それからしばらくして。

 ゲンアニのもとに、いつも美しい着物を着て、村人からは《選ばれた人たち》とか、《高貴な人たち》と呼ばれている者たちの《使い》という者が来て言ったのですよ。

「私たちに恵みを与えてくださる自然です。だからその自然を大切に思い感謝するようにしましょう。それからもし何か困ったことがあったら、今まで以上にお互いに話し合い助け合い、そして協力し合って解決するようにしましょう」
と。 
 
 それを聞きながらほとんどの村人はうなづいていたのですよ。
 でも、ゲンアニは少しも表情を変えずに、そして、ときおり遠くを見つめながらただ微笑みながら聞いているだけだったのですよ。 
 というのも、それまで村人は誰でも自然を大切に思い感謝していたので、何をいまさら言うのかなと、とても不思議な気がしたからですよ。

 それからしばらくして。

 ゲンアニのもとに、いつかの《使い》が再び来て言ったのですよ。

「私たちに恵みを与えてくださる自然ですが、でも本当はそこに住んでいて自然を代表しているカミ様のおかげなのです。だからカミ様を大切に思い感謝するようにしましょう。それからカミ様が住む家を建ててくださった人たちにも感謝するようにしましょう。あの方たちは私たちに恵みを与えてくださるカミ様と同じようなものですから」
と。 
 それを聞きながらほとんどの村人はうなづいていたのですよ。
 でも、ゲンアニは少しも表情を変えずに、そして、ときおり遠くを見つめながらただ微笑みながら聞いているだけだったのですよ。
 というのも、先祖からの言い伝えで、大昔の人は太陽をカミ様のように思っていたということを聞いていたので、どんなに綺麗な着物を着ていても人間が、カミ様と同じようなものだとはとても思えなかったからですよ。

 それからしばらくして。

 ゲンアニのもとに、いつかの《使い》が来て言ったのですよ。

「これからは、どんな作物を作るかはカミ様と相談して決めるように。それから、酒を造るときと、薬草を取るときは私の許可を得るように。なぜなら私はカミ様と同じような方の《使い》ですから」
と。 
 それを聞きながらほとんどの村人はうなづいていたのですよ。
 でも、ゲンアニは少しも表情を変えずにただ微笑みながら、そして、ときおり遠くを見つめながら聞いているだけだったのですよ。 
 というのも、酒を造ったり薬草を取ったりするのを、どうして力のなさそうに人間から許可をもらわなければならないのか、ほんとうに奇妙だったからですよ。

 それからしばらくして。

ゲンアニのもとに、《みんなと違う服装をした者》が、いつもの》使い》といっしょに来て言ったのですよ。

「みなさんの作物の出来が悪かったりするのは、みなさんが自然を敬い感謝することを忘れているからです。私たちはそのやり方を知っていますから教えてあげます。そうすればこれからは、今よりも、もっと楽しく満ち足りたな生活が出来るようになるでしょう」
と。 
 それを聞きながらほとんどの村人はもの欲しそうな顔をしていたのですよ。
 でも、ゲンアニは少し表情を変えずにただ微笑みながら、そしてときおり遠くを見つめながら聞いているだけだったのですよ。 
 というのも、もうすでに、ほとんどの農民と同じように、農作物というものは、自然のおかげであるなどと、簡単には言えないことを十分に知っていたからですよ。
 それには人間だけでなく、土や木や家畜、そして天候などが大きく関わっているということを身にしみてと知っていたからですよ。そして何よりも、作物の良し悪しというものは。自然に働きかける人間次第であるということ、つまり、人間が可愛がれば可愛がるほど、手間を掛ければ掛けるほど、それに応えるように、良い出来となるこということを十分すぎるくらいに判っていたからですよ。
なぜなら、それが農民にとっての最大の喜びであったから。
 それからしばらくして。

 ゲンアニのもとに、《みんなと違う服装をした者》が、いつもの《使い》といっしょに来て言ったのですよ。

「みなさんが悲しんだり怒ったりするのはみなさんが傲慢になるからです。傲慢は無知から生まれます。でも、私たちはたくさんの役に立つ知識を知っていますから、それを教えてあげます。そうすれば、みなさんはもう犬や猫のようにやたらに悲しんだり怒ったりすることはなくなるでしょう」
と。 
 それを聞きながらほとんどの村人はうなづいていたのですよ。
 でも、ゲンアニは少し表情を変えずにただ微笑みながら、そして、ときおり遠くを見つめながら聞いているだけだったのですよ。 
 というもの、村を離れていた若いときに色んな町で見聞きしたことが、今は何の役にも立っていないということを判っていたからですよ。

 それからしばらくして。

 ゲンアニのもとに、《みんなと違う服装をした者》が、いつもの《使い》といっしょに来て言ったのですよ。

「みなさんが他人と揉め事を起こすのは、お互いに自分のことだけを考え相手を無視するからです。でも、私たちはお互いに尊重しあう方法を知っていますから教えます。それは決まったやり方で挨拶し合うことです。もし、みなさんがそれを身につければ、これからはもっと他人と仲良く暮らすことが出来るようになるでしょう」
と。 
 それを聞きながらほとんどの村人はうなづいていたのですよ。
 でも、ゲンアニは少し表情を変えずにただ微笑みながら、そして、ときおり遠くを見つめながら聞いているだけだったのですよ。
 というのも、今まで他人と揉め事を起こしても、そのうちにまた自然と仲良くなれたので、そんなものが本当に必要なのかなあと思ったからでしたよ。

 それからしばらくして。

 ゲンアニのもとに、いつもの《使い》が来て村人を集めて言ったのですよ。

「皆さんから少しも悩み事や心配事がなくならない、その根本原因は、他国と比べて我が国が小さく貧しいからです。そこで我が国を大きくして豊かにしなければなりません。そのためには皆さんが今まで以上に協力して農作業に励み、そして今まで以上に協力して作物や労働を提供するように」
と。
 それを聞いて他の村人たちは話しにくそうになにやら小声で話し始めたのですが、 
 でも、ゲンアニだけは少しも表情を変えずに、そして、ときおり遠くを見つめながらただ微笑みながら聞いているだけだったのですよ。 
 というのも、よその国に比べて自分たちの国がそんなに貧しいとはとても思えなかったからですよ。 

 それからしばらくして。

 ゲンアニのもとに、この前とは別の《みんなと違う服装をした者》が、いつもの《使い》といっしょに来て言ったのですよ。

「あなたは幸せですか、夢を持っていますか、人生が楽しいですか。私たちは人生を楽しくする方法を知っていますから、それを教えて上げます。さあ、歌を歌い、踊りを踊りましょう。そうすれば、だれでもが楽しく幸せになります。そこから夢も生まれてきますからね」
と。
 それを聞きながらほとんどの村人はうなづいていたのですよ。
 でも、ゲンアニは少しも表情を変えずにただ微笑みながら、そして、ときおり遠くを見つめながら聞いているだけだったのですよ。 
 というのも、村を離れていた若いときに色んな町で沢山の歌や踊りを見聞きして、それがどういうものかすでに判っていたからですよ。
 つまり、歌や踊りというものは、気休めにはなるが、人生を幸せなものにするなどという大それたものではないことをよく知っていたからですよ。 

 それからしばらくして。

 ゲンアニのもとに、いつもの《使い》が来て言ったのですよ。

「戦争に勝ったお礼を言ったり、みんなの祖先を祭ったり、より多くの作物が取れるようにとお願いしたり、さらに日頃の感謝の気持ちを込めて、カミ様にお礼を言ったりするためには、今まで以上に大きなカミ様の家が必要だから、そこで、その家を建てるためには今まで以上に作物や労働を提供するように」
と。
 それを聞きながらほとんどの村人はうなづいていたのですよ。
 でも、ゲンアニは少しも表情を変えずにただ微笑みながら、そして、ときおり遠くを見つめながら聞いているだけだったのですよ。 
 というのも、その《使い》の言うことなど、もう枯れ草を揺らす風の音のようにしか聞こえなかったからですよ。

 それからしばらくして。 

ゲンアニのもとに、この前とはまた別の《みんなと違う服装をした者》が来て言ったのですよ。

「私たちは過ちを犯しやすいから、それを反省するようにすれば、悩み事や揉め事から開放されるでしょう。そして子供を愛し妻を愛し隣人を愛せば、もっと幸福になるでしょう」
と。
 それを聞きながらほとんどの村人はうなづいていたのですよ。
 でも、ゲンアニは少しも表情を変えずにただ微笑みながら、そして、ときおり遠くを見つめながら聞いているだけだったのですよ。 
 というのも、その《みんなと違う服装をした者》の言うことなど、ずっと枯れ草を揺らす風の音のようにしか聞こえなかったからですよ。

 それからしばらくして。

ゲンアニのもとに、いつもの《使い》が来て言ったのですよ。

「みなさんの生活をさらに良くするために、この国を繁栄させて大きくしてしなければならない。そのためには橋や道路を作って交易を盛んにしなければならない。そこで今まで以上に作物や労働を提供するように」
と。
 それを聞きながらほとんどの村人はうなづいていたのですよ。
 でも、ゲンアニは少しも表情を変えずにただ微笑みながら、そして、ときおり遠くを見つめながら聞いているだけだったのですよ。 
 というのも、その《みんなと違う服装をした者》の言うことなど、いつものように枯れ草を揺らす風の音のようにしか聞こえなかったからですよ。

 それからしばらくして。

ゲンアニのもとに、いつもの《使い》が来て言ったのですよ。

「みなさんのおかげで我が国は発展して大きくなりました。だが、それをきちんと管理運営して、さらに大きくしていくためには、今以上により多くの優秀な人間が必要であります。でもそのような優秀な人間を育てるためには沢山の費用がかかります。そのためには皆さんにぜひ協力していただかなければなりません。そこで、今まで以上に作物や労働を提供するように」
と。
 それを聞きながらほとんどの村人はうなづいていたのですよ。
 でも、ゲンアニは少しも表情を変えずにただ微笑みながら、そして、ときおり遠くを見つめながら聞いているだけだったのですよ。 
 というのも、その》みんなと違う服装をした者》の言うことなど、枯れ草を揺らす風の音のようにしか聞こえなかったからですよ。

 それからしばらくして。

 ゲンアニのもとに、以前に来た者とはまた別の《みんなと違う服装をした者》が、いつもの《使い》といっしょに来て言ったのですよ。

「あなたが不安になったりするのはあなたが死後のことを知らないからです。でも私たちは人間が死ねばどうなるかを知っていますから、それを教えてあげます。そうすればもうあなたは必要以上に不安になったりすることはなくなるでしょう。そして今よりももっと幸せになるでしょう。そのために、私たちが開く会合に来るように」
と。 

 ゲンアニが会合に出ると、村人が集まっている部屋に通されたのですよ。
 そこは薄暗く今まで経験したこともないような良い匂いがしていたのですよ。
 そして誰よりも《綺麗な着物を着ている者》が現れて、規則的な音をたてながら、普通に話す声とは違う声で、うなるように話し始めたのですよ。 
 そしてそれが終わると今度は、普通の話し方で、それまで聞いたこともないような色んな物語を話し始めたのですよ。 
 他の村人たちは皆その話しを聞きながら気持ち良さそうな表情をしていたのですが、でも、ゲンアニはいつものとおり、少しも表情を変えずに、ただ微笑みながら、そして、ときおり遠くを見つめながら聞いているだけだったのですよ。 
 というのも、ほどなくして、その話しが作り話のように思えてきてなんとなく退屈になり、やがて その声は小川をのせせらぎの音のようにしか聞こえなくなったからですよ。 
 そして、その《綺麗な着物を着ている者》が最後に次のように言ったのですよ。

「なぜ私たちが不安になるのかというと、それは私たちが死んだらどうなるのか判らないから、そうなるのです。でも、私たちは、人間が死んだらどうなるのか知っていますから、それを教えてあげます。それはこういうことです。人間は死ぬと、たしかに肉体は消えてなくなりますが、魂は永遠に残ります。そして、その魂は、この世を離れて新しい場所に行くのです。そこは気候も温暖で美しく食べ物も豊富なところで、皆さんは悩み事や心配事からも解放されて、何不自由なく、永遠に幸せに暮らすことが出来るのです。でも、だれもが無条件でそこに行けるわけではないのです。生きているときに悪いことをした人は、たとえば、物を盗んだり、人を傷つけたり、両親を粗末に扱ったり、修行を積んだ偉い人を侮ったりした人は、地獄というとても怖い怖い所に行くのです」
と。
 だが、そのようになるためには、そこに集まっているみんなが、これまで《選ばれた人たち》とか、《高貴な人たち》と呼ばれている者たちにやったのと同じように、その《みんなと違う服装をした者》たちにも、作物や労働を提供して、大きな建物を建てなければならないと判ったとき、ゲンアニはその部屋から出て行ってしまったのですよ。
 それからゲンアニはもう二度と会合に出なくなったのですよ。

 それから何年かして。

 ゲンアニのもとに、いつもの《使い》が来て言ったのですよ。

「我われの国が栄えて大きくなったので、周囲には我われの豊かな国土や財産を奪おうとする悪い奴らがでてきた。その悪い奴らから我われの家族や財産を守るためにはぜひとも戦わなければならない。おそらく今度の戦争は、この前のものよりも激しいものになるだろう。そのためにはより多くの兵士と食料が必要である。そこで、どの家からも必ず今まで以上の作物と、そして兵士としての男手をひとり出すように」
と。
 それを聞きながらほとんどの村人は黙ったままうつむいていたのですよ。
 でもゲンアニは、最初はいつものように微笑を浮かべていたが、だんだん話が進むにしたがって、次第に怒りにも似た険しい表情に変っていったのですよ。

 翌日、ゲンアニは老いた母を背負い、妻子を連れ裏山に入ったのですよ。

 それはゲンアニは村を捨てる決意をしたからですよ。

 ゲンアニたちは裏山を抜け、さらに三つの山を越え、深い谷を渡り、険しい崖を上り、そしてそれまで村人の話しにも聞いたことがない山奥にたどり着いたのたのですよ。

 ゲンアニはその場所に住むことを決めると、さっそく木を切り倒し畑を作ったのですよ。

 最初の数ヶ月は生活には厳しいものがあったが、ゲンアニの頑張りでどうにか凌ぐことが出来たのですよ。

 だが次の年からは畑も増え、それに木の実、山菜、兎の肉など豊富に手に入れることが出来たので、次の年からは村に居たときのような生活が出来るようになったのですよ。

 ゲンアニは、戦争に勝ったかどうか、そしてその後、村がどうなったかも、決して知ろうとはしなかったのですよ。

 なぜなら、ゲンアニは二度と村には戻るまいと決心したからなのですよ。

 体は丈夫な切り株女は、子供を次から次へと生んで、全部で十人ほどになったのですよ。 
 でも生活はちっとも悪くはならなかったのですよ。 
 というのも、ゲンアニが自分よりも家族のためを思いながら農作業や狩猟に頑張っているうちに、村に住んでいたときよりも、生きるための多くの知恵が自然と身についていたので、家族が必要とするものは何でも用意することが出来たからなのですよ。 

 そして、それから数年後、ゲンアニの母親が亡くなったのですよ。
 そのときゲンアニは、母の持ち物から、ゲンアニのために仕立てられたと思われる真新しいよそ行きの着物を発見したのですよ。

 やがて、やがて、ゲンアニも老いて、最期の時を迎えたのですよ。
 
 その秋の日ゲンアニは、久しぶりに狩に出かけ、獲物を仕留めて持ち帰ると、そのままゆっくりとや床に横たわったのですよ。
 そして枯葉で蔽い尽くされた山のように静かに息を引き取ったのですよ。

 でも、残された家族の生活はほとんど変らなかったのですよ。 
 なぜなら、子供たちがゲンアニの生きる知恵を受け継いでいたからですよ。 

 そして、それからしばらくすると、ゲンアニが以前住んでいた村では、ゲンアニの子供たちが生きている山に、姿形はニンゲンであるが、全身クマのように毛で覆われた大男や、若い女をさらっていっては自分の嫁にするという鬼が、住んでいるらしいという噂話しが、まことしやかに語られるようになったのですよ。
     

     
                     
おしまい

    *  *  *  *  *