精霊の森から(3部)

 

    青い精霊の森から(3部)
    
    
    
    
                 はだい悠
   
   
   
    *    *    *
   
   
   
 翌日トキュウは昼前に起きるとひとりで公園に向かった。
 初夏の陽射しが眩暈がするほど眩しかった。
 やがて、日焼けした小柄な大人の男がバイクに乗って公園
の入り口に現れた。トキュウはゲンキから聞いていた男の特
徴から、すぐそれと判った。トキュウは男の正体を確かめる
と、なぜ自分がゲンキの代わりにここに来たかを話した。す
るとその男はあからさまに不愉快な顔をした。どれほどの時
間が経過したかわからないくらい凍り付くような長い沈黙が
続いたあと、その男は舌打ちを交えながら投げやりに言った。
「チィッ、まあ、しょうがないか、これじゃ何のために来た
のか判んないじゃないか、チィッ、まあ、良いか、後ろに乗
れよ」
 その大人の男は、それまでバイクの荷台に乗せていた段ボ
ールの箱をトキュウに持つように言うと、トキュウを乗せて
どこへともなく走り始めた。
 大人の男は小柄ではあったが、体つきは筋肉質でガッシリ
していて、しかも身のこなしもどことなく機敏そうであるた
め、トキュウに大人としての威圧感や近寄りがたさを感じさ
せるのに十分であった。
走りながら大人の男が言った。
「なに、お前はゲンキの友だちか?」
「あっ、はい」
「名前はなんていうんだ?」
「トキュウ」
「ときゅう? 変な名前だな」
「あっ、ほんとうは、キュウイチ」
「そうだろう、あだなだろう、こういうときは本名を言うも
んだよ、お前、ほんとうに仕事やる気あんのか?」
「あっ、はい」
「でもな、お前に仕事を教えたって何にもなんねえんだよな、
まあ、ゲンキの友達なら仕方ないか」
それっきり大人の男は何も喋らずに、大通りを走り、繁華街
を抜け、住宅街に入り、周囲に木造二階建てアパートが目立
つ路地に入ってバイクを止めた。
 そしてトキュウにダンボールのなかに入っている洗剤一箱
を持ってついてくるようにと、命令口調で言うと、眼の前の
アパートに向かってすたすたと歩き出した。
 その大人の男は、そのアパートのひとつの入り口の前に立
つと、強弱をつけて少し乱暴気味にそのドアをたたいた。な
かから応答に耳を澄ますという風でもなく、くり返しくり返
し何度も何度もたたいた。
 やがて、ドアが開けられると、大人の男は急に姿勢をかが
めて、穏かな表情でやさしく話しかけた。
「ああ、どうも、こんにちは、新聞です。いつもお世話にな
ってます、またお願いできますね。今度も三ヶ月で良いです
ね」
そう言うと大人の男は胸ポケットからメモ帳のようなものを
取り出しなにやら書こうとすると、ドア越しにしわがれた女
性の声が聞こえてきた。
「いや、結構です、もう読みませんから」
「そんなことないでしょう、まだだいじょうぶですよ」
「ほんとうにいいんです」
「そんなこといわないでサービスしますから、ほら洗剤です
よ」
「けっこうです、ほんとうに」
「なんとかお願いしますよ。たったの三ヶ月だけで良いんで
すから。ここにチョンチョンと判子を押すだけで良いんです」
「ほんとうにけっこうです」
そういい終わると同時にドアが閉められた。すると大人の男
は急に表情が険しくなり歩きながら呟くように言った。
「クソババア、下手にでりゃあいい気になりやがって」
 そして隣の部屋のドアの前に立つと、さっきよりもひとき
わ強弱をつけてドアを叩いた。そこには地中に潜む小動物を
必死に探り当てる捕食動物のような緊張感が漂っていた。す
ると今度はすぐに返事がしたかと思うとドアが開けられ中年
の女性が姿を見せた。大人の男は先ほどと同じような態度で
話しかけた。
「あっ、どうも、こんにちは、新聞です。いつもお世話にな
ってます、またお願いできますか? 今度も三ヶ月で良いで
すね」
「あら、あんた、なに言ってんのよ。わたし、あんたなんか
ら新聞取ったことないわよ」
「あっ、そうですか、たしか、まあ、良いです。とにかくま
たお願いします。チョンチョンと判子押すだけで良いんです。
お願いしますよ」
「ダメです、いらないものはいらないんです
「そこをなんとか、サービスしますから。良いですね、三ヶ
月だけで良いんですから」
「とにかくいりません」
それを最後にドアは閉じられた。大人の男はまたも険しい表
情で吐き捨てるように言った。
「チクショウ、舐めやがって、今度はそうはいかないぞ」
そう言いながら大人の男は隣の部屋に向かった。そしてその
部屋の前に立つと、先ほどと同じようなリズムでドアを叩き
始めた。しかしいくらたたいてもなかからは何の反応もなか
った。すると大人の男は無言でその場を離れると、そのまま
トキュウの存在を忘れたかのようにトキュウには何も話しか
けることもなく、凍ったように表情でそのアパートを離れる
と、どこへともなく歩き出した。そして次の目標となるアパ
ートの前に立つと、後から歩いてきたトキュウに話しかけた。
「良いか、この仕事はうまくいけば二三十分で一日分は稼ぐ
んだ。考えようによっては楽な仕事だ。だから、やり方をよ
く見とくんだぞ」
そう言って、その大人の男は眼の前のアパートに向かって歩
き出した。そして最初の部屋の前に立つと、今までと同じよ
うにドアを叩いた。するとすぐに返事をする若い女性の声が
聞こえ、ほどなくしてドアが開けられた。 大人の男は今ま
でとは違ってややぶっきらぼうに話しかけた。
「やあ、こんにちは、新聞です。お世話になってます。また
お願いできますか? 今度も三ヶ月で良いです」
「ええ、わたしはじめてなんです」
「へっ、そうですか、そんなことはないと思うんですが。そ
れでは三ヶ月で良いですね」
「えっ、待ってください、新聞は取りません」
「そんなこと、言わないで、お願いしますよ、サービスしま
すから、ええと、はい、これ洗剤です」
「いいです、ほんとうに、けっこうです。わたし読みません
から」
「そうですか。でもこれからは色んなことを知らないといけ
ないでしょう。読まないと情報は得られないでしょう」
そしてドアを突然閉められた。大人の男は悔しそうな顔をし
て言った。
「まあ、色いろあるさな。最近は生意気な女が多くなって」
   
 次に大人の男は隣のドアを叩いた。
 すぐに若そうな男性の声がしてドアが開けられた。大人の
男は先程よりもぶっきらぼうに言った。
「こんにちは、新聞いま、どことってます?」
「いや、別に興味ありませんから」
「じゃ、ぜひ、うちをとってください、三ヵ月でいいんです。
判子もってます? じゃここについてください」
「何を言ってるんですか、いりませんから」
と若そうな男性の声がしてドアが閉められそうになったとき、
大人の男は片足をドアの隙間に入れてドアが閉まらないよう
にした。
「なにをするんですか、やめてください」
と若そうな声の男が言ってドアをさらに閉めようとした。
「いたいじゃないか」
と大人の男が言った。
「だって自分から足を挟む人が悪いんじゃないですか、こっ
ちには入らないでといっているのに、もう帰ってください、
足をどけてください」
「いたい、イヤだね、だからねえ、ここにチョンチョンと判
子を突くだけでいいんだから、三ヶ月でいいよ」
「いりません、とにかくいりませんから、足をどけてくださ
い。あっ、何をするんですか、入って来ちゃダメじゃないで
すか」
ドアの隙間から体を入れようと大人の男に対して、部屋の住
民それを必死で阻止しようとしていた。
「だから三ヶ月でいいんだから、判子押してよ」
「なんと言われたって、いらないものはいらないんです。帰
ってください、ダメなものはダメ。あっ、そうだ。もうそろ
そろここを引っ越すんです。だから取れないんです」
「いつ?」
「来月頃」
「嘘ついてないだろうな、そのときに来て見るからな、もし
居たらどうなるかわかってんだろうな」
「それは脅迫ですか」
「違うよ、だから、、、、」
 トキュウは二人がやりあっているあいだ、ドアの隣にある
赤い郵便受けにぼんやりと眼をやっていた。その郵便受けは
ところどころ塗料がはげ、黒くさび付いていた。そして何気
なくその郵便受けに張られてある花模様のシールに眼を止め
ていると、急激に気持ちが悪くなり吐き気を催していた。ト
キュウはその場を離れてアパートのわきの排水溝に顔を向け
てしゃがみこんだ。そして次々と襲ってくる吐き気に身をゆ
だねるようにじっと眼を閉じた。しかし、何も吐くことはで
きなかった。結局全身がしびれるように不快さだけが残った。
トキュウは思った。今日はあんまり寝てなかったし、食べ物
もまだなんにも食べてなかったし、それにこんなに暑いんだ
から、気持ち悪くなったのだ、と。
   
 そこへ大人の男がやってきた。
「お前こんなところで何やってんだ。ちゃんとやり方を見て
ないとダメじゃないか」
トキュウはしゃがんだまま言った。
「キュウに気持ちが悪くなって」
「お前はずいぶん弱いな、なあんだゲンキの話と違うじゃな
いか、なんか凄く喧嘩に強い奴がいるって聞いたけど、お前
じゃなかったのか、たいしたことないな」
   
   
 その大人の男はトキュウの様子を見ながらしばらく黙った
あと再び話し始めた。
「最近の若者は本当に根性がないなあ、すぐ値を上げるんだ
から、お前本当にやる気があるのか、情けねえやつだな、ま
あ、言ったってしょうがないか。まだ子供見てえなもんだか
らな、さあ、帰るぞ、今日は止めだ、なんか調子が悪い」
 そう言って大人の男は歩き出した。トキュウも立ち上がり
ついていった。
   
 歩きながら大人の男は独り言のように話し始めた。
「あの野郎は本当にしぶとかったなあ、大人しそうな顔して
ぜんぜん強そうには見えなかったんだけどなあ、ちょっと脅
せばすぐに判子つくと思ったんだけどなあ。いいか、まあ、
お前みたいなのに言ったってしょうがないけど、この仕事は
な舐められちゃいけないんだ。あんまり下手に出て弱みを見
せちゃいけないんだ。なにせみんな新聞屋だと思ってすぐに
バカにして来るからな、だから、いいか、相手がちょっとで
もスキを見せたら、そこをどんどん突いていくんだ、そこが
弱点だからな。別に悪いことやってんじゃないから、絶対に
容赦しちゃだめだよ。必要なら脅したっていいのさ、なにせ
こっちだって生活が掛かってんだからな。それにさあまり大
きな声ではいえないけどさ、こっちには天下の大新聞社がつ
いているんだからな、、、、」
と大人の男は喋り続けていたが、トキュウはついていくのが
やっとで頭には何にも入ってこなかった。
   
   
 トキュウは再び大人の男のバイクに乗った。そして公園ま
で送ってもらうと、少し体を休めようと考え、公園の林の方
へ歩いていった。そして出来るだけ静かな奥のほうに入って
いってある木陰を選ぶと、そこに体を横たえ眼を閉じた。す
るとすぐ意識がなくなった。
   
   
 太陽は傾き、林のなかが薄暗くなり始めたとき、トキュウ
は目覚めかけていた。風にそよぐ木の葉の音を感じていると、
ふと頭に昼間見た赤い郵便受けに張られたシールの花模様が
浮かんできた。するとそのとたんにトキュウの頭は、トキュ
ウの意思を無視するかのようにトキュウの過去の記憶をたど
り始めた。そしてそれはある地点まで行くと止まった。そこ
は暖かそうでもあり冷たそうでもあり、様ざまな感情と雰囲
気に満ちた広がりを持っていた。しかしトキュウにはそれが
何であり、そこがどこであるのかまったく判らなかった。ゆ
っくり眼を開けると気分が良くなっていることが判った。し
かし、どうしようもなく心細く、心臓の鼓動が聞こえてきそ
うなくらい寂しさを感じた。
   
 トキュウは、誰かの足音が聞こえてきたような気がしてそ
の方角に眼を向けたが誰もいなかった。トキュウは怖くなっ
てそこを離れた。そしてミュウのマンションに行くことにし
た。
 ミュウの部屋には誰もいなかった。
 トキュウは昨夜以来ほとんど何も食べていないことに気づ
いた。そこでミュウの冷蔵庫から食べ物を今のテーブルに運
ぶと、空腹に任せて食べた。するとまもなく玄関のほうがざ
わつき、ドアが開けられいっきに少女たちの賑やかな声が響
いた。
「開いてるの?」
「開いてる、開いてる」
「大丈夫なの?」
「ミュウ、来たよ、いるの?、あっ、いるいる、けど」
「あんた一人なの?」
トキュウが頷くのを見て少女たちは我先に話し始めた。
「ねえ、ミュウはどこ? 独りで何やってんの?」
「あっ、あたしも食べようっと、お腹すいてんだ」
「シャワーこっちだっけ」
とモチが言うと、少しも間をおかずにレイが
「あたしまだ化粧中途半端なんだ」
と言ってレイが急いでバックをあける。
「あんた、トキュウって言ったよね、どうしてここに居るの
?」
トキュウが食べるのを止めて答える。
「腹が減ったから」
「あっ、そう、それだけ、ふ―ん、どこへ行ったんだろう?
 ミュウは」
「ねえ、あんた、判らない? 判らないの、変なの」
「ほんとに良いわね、ミュウのとこに、いつも食べ物があっ
て」
「なにせ、ミュウは金持ちだからね」
そのとき上半身裸で部屋を横ぎったモチにレイが言った。
「やだあ、それじゃ丸見えじゃん」
するとマイが言った。
「へいき、へいき、トキュウはもう見慣れてるもんね」
「何それ、変なの」
「あたしたちは変わったのよ、前と、だから違うのよ」
「変ったって、何が?」
「よく判んないけどさ」
・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・
 トキュウは少女たちにどう話しかけて良いかまったく判ら
ないことに気づいた。そして今まで、同世代の女の子たちを
どんなに苦手にしていたかを改めて思い知らされた。そこで
自分からはなるべく話しかけないようにした。
 やがて少女たち全員テーブルの周りに集まった。そしてト
キュウの存在を忘れたかのように話し始めた。
初めに化粧を直したレイが。
「ねえ、モチ、昨日あれからどうなった?」
「聞きたい? そうね最初恐怖って感じ。とにかく怖いの。
それからあとは、スピード、スピードって感じ。光がどんど
ん流れていくの、ボォッとして何も聞こえないの、それから
空を飛んで、電波塔の光のそばを通って、星が手の届きそう
なところに見えたの」
「ウソみたい、夢を見たんじゃない」
「夢じゃないほんとよ」
「なんかやばいもの飲まされたんじゃない?」
「それでどうなったの?」
「あたしにも良く判んないんだけどさ、気がついたら真っ暗
だった。そうだよね、林の中だったもん、それだけ」
「とっても、ふ、し、ぎ」
するとマイが
「ねえ、聞いて、聴いて、あたしにも不思議なことがあるの
よ。あたしってあんまり部屋を掃除しないでしょう、でも、
ときどき綺麗になっているときがあるのよ」
「気持ちワル」
「だれか、はいってんじゃないの」
「そんなことない、カギはちゃんとかけてあるよ。このあい
だも眠っているときに音がして、眼を開けたら、女の人が、
何かをやっていたの」
「へえ、誰だったの?」
「判んない、眠いからまた寝ちゃったの」
「もしかしたら幽霊じゃないの?」
「その部屋で昔何かあってさ、怖くないの?」
「ぜんぜん、あたしって幽霊怖くない人なの」
「ふ、し、ぎ」
「あたしは、いや」
すると今度はサクが話し始めた。
「あたしだって不思議なことがあるのよ。あたしっ方向音痴
でしょう。前にさ仕事の面接に行こうとしたら、道に迷って
さ、どうしてもたどりつけないの、すると眼の前に一匹の犬
が歩いていてさ、その犬歩きながら私のほうをチラッと見る
の、その犬昔家で買っていた犬にとってもよく似ていたの、
それでさ、その犬についていくとその場所に行けたの、ほん
とよ、ほんとだって、それだけじゃないの他にも二三度あっ
たんだから」
「ウソみたい、作ってない、信じられない」
「ほんとだって、ふ、し、ぎ」
するとマイがふたたびさえぎるように話し始めた。
「ねえ、聞いて、不思議なことってまだあるのよ。あたし小
さいとき空を飛んだことあるの、ほんとよ。ちいさいときハ
トさんを追いかけていたら、ハトさんが言ったの、もしあた
しを捕まえたら空を飛べるようになるって、そこでいっしょ
うけんめい追いかけてハトさんを捕まえたの、それで高いと
ころからハトさんといっしょに飛んだの」
「ふーん、ほんとに飛んだの?」
「ほんとに飛んだの、ほんのちょっとのあいだだったけど、
フワットね」
「うそみたい」
「それ飛んだんじゃなくって落ちたんじゃないの」
「ほんとだってば」
「いいじゃないの、マイがそう思っているなら」
「ねえ、そのあと救急車で運ばれなかった?」
「ないって」
マイの話しが一段落するこんどはモチが話し始めた。
「ねえ、聞いて、聞いて、あたしにも不思議なことがあった
の、この前さ、交差点で待っていたら後ろからぼそぼそと声
を掛けられたの、
『車に気をつけろ』
って、振り向いたらホームレスみたいなオヤジたった。それ
で気味悪くなって走って横断歩道を渡ったの、そしたら後か
ら歩いてきた人たちにダンプが突っ込んで、沢山の人が死ん
だり怪我したりしたの」
「何、それ、そのホームレス、モチを助けたってこと」
「そうなのかな?」
「モチを知ってたのかな?」
「判んない?」
「でもどうしてダンプが突っ込んでくるのわかったんだろう
ね、ふ、し、ぎ」
そしてレイが話し始めた。
「でも不思議といったら、車に跳ね飛ばされてもなんともな
いっていうのも不思議だよね。ねえ、トキュウ、あんた本当
に大丈夫たったの? かすり傷ひとつで」
「もう、大丈夫?」
「うん、なんともないよ」
と言ったあと、トキュウは初めて少女たちの会話に入れた気
がした。するとレイが話し始めた。
「ねえ、あたしのこと聞いて、あたしのことそんなに不思議
なことじゃないんだけど、ちょっへんなことなの,このあい
ださ、変なオヤジが寄ってきて言うの、
『中学生の娘がいるんだけど、君のようにならないようにす
るためにはどうしたら良いんだ』
って、なに、これと思った」
「レイのようにならないようにって、どういう意味なんだろ
う?」
「ええ、あたしにはわかんない」
「たぶん遊んでるってことじゃない、それとも不良?」
「バカってことじゃない」
それを聞いて少女たちは声を合わせて子供のように笑った。
「それで何て言ったの?」
「お、か、ね、お金よって、小遣いたくさん上げればあたし
のようにはならないって言ってやった」
「それって新しいナンパじゃない?」
「わかんない」
そして再びモチが話しだした。
「ねえ、あたしさあ、このあいだオヤジと付き合ってやった
の、でもお金くれなかったのよ、朝まで付き合ってやったの
に、まったく頭に来ちゃう」
「もう止めなよ、オヤジなんかと付き合うのは、何が良いの、
あんな豚肉みたいな顔したオヤジ、ちっとも楽しくないじゃ
い、いつもあたしたちを変な目でみるのはオヤジだよ」
「でもさ、あたしたちに近づいてくるのは親父が一番多いよ」
「そうだよ、すぐ声を掛けてくるもんね」
「いいじゃない親父だって、嫌うことないよ。あたしたち同
じ人間だよ。みんな仲間じゃないか、来るものは拒まずって
さ」
「そうだよ、あたしたちの良いことはみんなと仲良くするこ
とじゃん」
するとマイがさえぎるように言った。
「でも朝まで良くやれるね、あたし朝って大っきらいなの、
何かしらけた感じがしてさ、耐えられないの、朝に大勢の人
たち
がまじめそうな顔をしてまっすぐ歩いているのを見ると、な
んか見気持ちが悪くなるの、あたし変な目で見られるより、
耐えられない」
「あたしも朝はイヤ、だって怖いもの、ガラスがいっぱいい
てさ、ゴミをあさってんの、そばを通っても逃げないしね、
どこから出てくるのかしら」
「野良猫もうじゃうじゃいるしね」
「あっ、あたしネズミみた」
「見た、見た」
「ねえ、どうしてそんなに居るのに死んでるとこ見ないんだ
ろうね」
「あたし、おばあちゃんに聞いたことがあるけど、猫って死
ぬときは、飼い主から離れて、と語かわからないところでひ
っそりと死んでいくんだって」
「うそ、まるっきりアンビね」
「みんな飼い主のとこで死んでるよ。このあいだテレビで猫
の葬式やっているとこ見たもん」
「じゃカラスはどうなの?」
「カラス? カラスはやっぱりひっそりと死んでいくんじゃ
ないの、どっかの山の中でさ」
「ねえ、ねえ、最近急に見えなくなった子たちがいるよね、
あたしたちが来たときには目立っていた子たちが、チャイと
かブンとか」
「あたし、なんか聞いたことがある。死んだみたい」
「へえ、ひっそりと、それじゃカラスと同じじゃない、あた
したちもそうなるのかしら、さびしく」
「バッカじゃないの、なるわけないじゃん、だってあたした
ちはこんなに自由にさ毎日楽しくやってんのよ」
「なんで死んだの?」
「病気みたい」
「何の病気?」
「判んない」
「あれじゃない、うつされたんじゃない」
「サク、あんたも気をつけたほうが良いよ、あんたを見てる
となんかハラハラするよ」
「だいじょうぶ、あたしはだいじょうぶ、絶対に病気なんか
にならないから、だって占い師が言ってたもん、あたしは幸
せになるって」
「ああ、それじゃますますだらしなくなるね、ところでお金
返してもらった?」
「ううん、まだ」
「それはそうだよね、見ず知らずの人にお金貸したんだもん
ね」
「へえ、なんで貸したの?」
「だって、こまってたもん」
「それで住所は聞いたの?」
「聞いてない、でも二ヵ月後には必ず返すからここにきてく
れって言ったの」
「バッカじゃない」
「それはいつ?」
「もう少し」
「あきらめたほうがいいって、そんなおとぎ話見たいなこと」
するとレイが割り込んできた。
「いいんじゃないの、返してもらわなくたって。そんなに困
ってないんでしょう、あたしだったらくれてやる。いつも、
もらってるばかりじゃダメよ。こっちからくれてやるのよ。
もうそろそろこっちからやってやるのよ」
「そうだね、あたしって前にさ、大勢にやられそうになった
の、そこでやられる前にやってやろうと思って、こっちから
一人一人指名してさ、やってやったよ。ざまあ見ろって感じ
ね」
「あんたはえらいよ、そうこなくっちゃ」
「それ以来、あたしは何でもやれると判ったわ。もう何があ
っても無敵ね。子供のころからあれやっちゃいけない、これ
やっちゃいけないって、しかめっつらしてさ言われてきたけ
ど、いざやってみるとどおってことないのよね」
「そうよ、あたしなんか神社でやったことがあるけど、どお
ってことなかったわ」
「あたしなんか、賽銭箱の上にのっておしっこしたことある
けどね」
「あっ、どうかしら、おしっこしながら歌を歌うって言うの
は、面白いじゃない」
そのとき買い物袋を下げてかえったきたミュウが言った。
「ああ、もういやんになっちゃう」
「どこへ行ってた?」
「不動産屋から来るように言われて、一ヶ月以内に出て行っ
てくれって」
「部屋代払ってないから?」
「違う、ちょっと騒ぎすぎたみたいね、近所から文句でて、
いいさあ、次の部屋探すから、でもなあ」
「難しいのよね、部屋を借りるって、あたしも大変だった」
「部屋、盗るわけにも行かないしね」
「ねえ、あたしの家は広いしさ土地も持ってるから、そこに
みんなで住まない?」
「それ、山とか畑じゃない」
「あたり、よくわかったわね」
「もう、やけくそ、みんな食べて」
そう言いながらミュウは買い物袋をさかさまにして中味をテ
ーブルの上にぶちまけた。
マイがモチに言った。
「この匂い、なんかいや、よく食べるね」
「どうして、美味しいじゃない、チョコレート」
「あたし作っていたことがあるから」
「どこで?」
「工場で」
「へえ、真面目に働いていたことがあるんだ」
「すぐ止めたわ、だって毎日同じことのくり返したもん。歌
手になるのに関係ないもんね」
「じゃ、いつでも好きなだけだべれたんだ」
「最初はそう思った。でも、そんなんじゃなかった。流れ作
業で働いていると、だんだん食べ物っていう気がしなくなっ
てった。ああ、この匂いなんか気持ち悪くなりそう」
「マイはどこ出身だっけ」
「いわない、だってもう関係ないよ。あたしたちには、誰が
どこ出身で何をやってたかなんて、ねえ、みんな、歌でも、
テレビでなんか言う人も、今が一番大事たって言ってるじゃ
ない」
「そうだけど、喋りぜんぜん変じゃないよ」
「ねえ、どんな喋り方してたの?」
「おしえない」
「こっちに来て覚えたんだね」
「そうよ、あたし天才みたい、おしゃべりの」
「そういえばマイは、外人ともうまく喋れるよね」
「マイがおしゃべりの天才なら、あたしは化粧の天才かしら」
「それならあたしは遊びの天才ね」
「あんたはあれの天才じゃない、そんなんじゃデザイナーに
なれないよ。まっ、あたしは絶対ダンスの天才ね」
「ほんとうにダンサーになるつまりなんだ」
「ねえ、トキュウは何になるつもり?」
トキュウは自分のことが話題にされることを恐れていたので
少し無愛想に応えた。
「まだわからない」
「トキュウはあたしたちといるの楽しくない見たいね」
「あたしたちのこと避けてるみたい」
「なんか普通の男の子と違うよね」
「ほんとうはあたしたちのこと嫌いなんじゃない。なんかそ
んな気がする」
トキュウがしぶしぶ応えた。
「嫌いじゃなくって、怖いって言うか」
「うそっ、アンビーよ」
「あんなに強いのにね」
「こんなに可愛いのにね」
それを聞いて少女たちは再び子供のように声を合わせて笑
った。そしてマイが言った。
「でも、あたしたちのいいとこは、嫌われたからって、嫌
ったりしないってことだよね。皆といっしょに仲良く楽し
くやろうとすることだよね」
「そうそう」
そのときサクがトキュウの腕を見ながら言った。
「ああ、血がにじんで黒くなっている、そのバンドエイド
代えたほうがいいよ。昨日あげたのまだあるよね」
そう言われてトキュウはポケットに手を入れ、なかに入っ
ているものを全部つかみ出すと、それをテーブルの上に置
いた。そして紙切れのあいだに挟まっていたバンドエイド
を探し出すと、それをさっそく貼ろうとした。
「ねえ、水で洗ってから貼ったほうがいいよ」
そう言われてトキュウは席を立った。
 洗い終わって戻ってこようとしたとき、少女たちがざわ
ついていた。サクが手に持った一枚の写真を眼にしながら
叫ぶように言った。
「やっぱりそうじゃない、トキュウはこんな子が好きだっ
たんじゃない」
「なに、なに、それ、へえ、これがトキュウの彼女の写真
なんだ、気持ち悪い」
「どれ、どれ、キャア、なにこれ、ぜんぜん可愛くないよ
ね、つまらなさそう」
「でも、なんか、どっかで見たことがあるような顔だね」
「判らない、よくある真面目な、あれ、優等生の顔じゃな
い」
 その写真は、トキュウのポケットから出されて、テーブ
ルの上に置かれたままになっていた物の中から、モチが無
断で取り出したものだった。
 トキュウはとっさにあのときの写真だと判ったが、好奇
心のとりこになっている少女たちから写真を取り上げるこ
とは無理だと思い、彼女たちの好きなようにさせていた。
やがて少女たちの好奇心から開放されてその写真がトキュ
ウに手に戻ってきた。そして所々に汗によると思われるし
みができ、表面を蔽う細かい皺でやや見にくくなっている
その写真を眼にしていると、トキュウは、急に溢れる涙を
手で拭いながら、子供のように泣いてしまった。それはま
ず理由もなくいきなり涙が溢れてきて、その後徐々にその
理由が頭に浮かんでくるという状況だった。それを見て少
女たちが言った。
「あれ、なんか悪いことしたみたいね」
「彼女の悪口言われたからじゃない」
「そんなんじゃないよ、なぜもっと大事にしなかったんだ
ろうって」
とトキュウは涙声で応えた。
 そのときそれまであまり関心を見せていなかったミュウ
が、トキュウからその写真を取り上げると、不敵な笑みを
浮かべてじっと見つめていた。そしてひきつるように笑い
ながら言った。
「あっはっは、何なの、この写真、まるで宇宙人みたいね。
これがトキュウの彼女だなんて笑っちゃうわね。まさか、
これがトキュウの彼女だなんて、おもしろいじゃない、ぜ
ひ、あってみたいよ。ねえ、トキュウ、どうしてこの写真
持ってんだい?」
「ずっと前にある人から、その写真のこを探しているって
言う人から頼まれたんだよ。もし見かけたら電話をしてく
れって、そのときにもらったんだよ、でもこんなにくしゃ
くしゃになってしまって、もっと大事にしてろばって思っ
て、それで」
「でも、そんなことで泣くことないじゃない」
「ちょっと変だよトキュウは」
「子供だって泣かないよ」
「いやほんとうは好きなんじゃない、好きじゃなければも
ってないよ」
「きっとそうだよ、どうもあたしたちには興味ないみたい
だもんね」
「それで見つかったのその子は」
「ぜんぜん」
「そりゃあ、そうだろうね、だって、トキュウの眼は節穴
だもん、まあ、たぶん、永久に無理ね、今まで見つからな
いんだったら、あっはっは、なんておもしろいんだろう、
こんなおもしろい人探しなんて初めてだわ。あっはっは」
 トキュウにって少女たちのどんな冷やかしもほとんど苦
にならなかった。それよりも少女たちの眼の前で子供のよ
うに泣いたことがすぐこの場から離れたいくらい恥ずかし
かった。そこでトキュウは少女たちが再び自分たちの話題
に夢中になり始めたのを見て、コッソリと部屋を抜け出し
た。
   
   
 夜の闇に輝く喧騒の町は、待ち焦がれたかのようにトキ
ュウをむかい入れた。トキュウは何かから開放されたかの
ように、なぜか気持ちよかった。そしてちょっぴり懐かし
さをかんじながら仲間たちと合流した。
 そしてそれからは、今まで以上に自分から進んで、仲間
とはより親しく、その他のグループとは激しく敵対しなが
ら、たむろし、ふざけあい、遊び、ときには思い出したか
のように、衝動的に食べ物を採取したり、獲物を狩ったり
しながら、誰よりも夜を楽しむようかのように精力的にさ
まよった。
   
   
 数日後、ミュウがサイスの指令を仲間に伝えた。
   
 今夜の十二時を合図に、みんなで手分けして繁華街のあ
ちこちの交差点や人ごみで賑わう場所に、発炎筒を投げ込
むようにと、そしてミュウは顔見知りとできるだけ多くの
若者に発炎筒を渡した。
   
 そして十二時。町のほうぼうで少年たちによって投げ込
まれた発炎筒が燃えた。町あっという間に煙に包まれ騒然
となった。車は渋滞し初め、ほとんどの人々はとまでい立
ち止まった。パトカーは予期されていたかのようにさっそ
く集まりだし、警官の姿が至るところに目立ち始めた。
 しかし煙が立ち込めた幻想的な光景は、たとえ華やかで
あっても、それまでの町の光景に少し飽き飽きしていた人
々に新たな夢を見させようとしていた。立ち止まった人々
はこれからいったい何が起こるのかと胸をときめかせた。
 そして深夜の町自体が人々の狂おしい期待と底なしの好
奇心によって何かに変容しようとしていた。
   
 やがて、どこかの通りに高らかなエンジン音が響き渡ると、
バイクに乗ったサイスがもうもうと煙を巻き上げながら悠然
と現れた。見ると十本ほどの束ねられた発炎筒が、バイクの
後ろに紐で結びとめられ、乱暴に引きずられていた。
 最初サイスは、以前のように通りから通りへと、車や人間
の通行を妨害しながら、自由自在に、しかも人間の眼をひき
つけるかのように、ときには蛇行したり同じところを何度も
旋回したりしながらゆっくりと走りまわっていたが、そのう
ちに警官とフェンスによって、通りという通りが次々に封鎖
されていき、徐々にその行動範囲が狭められていった。そし
て気が付くとひとつの通りだけということになってしまって
いた。そして見物する人もそれに合わせるかのように移動し
た。
 やがてその通りも、時間とともに狭められていき、長さ五
十メートルほどの一区画だけになってしまっていた。そして
それもどんどん狭められていき、ついにさいすは小さな円を
描くだけしかできなくなっていた。
  
 舗道側はどんどん増えていく人々で埋め尽くされ、通りの
両端は、サイスを捕らえようとする警官とフェンスでふさが
れた。それはもうどこにも逃げることができないという完全
に包囲された状態だった。
 そのとき群集に紛れ込んでいたトキュウは、人々の口から
発せられた思いがけない声を聞いた。それは決してサイスに
対する非難ではなく、こんなにもあっさり捕まってしまうな
んて、期待していたことが何も起こらなかったじゃないか、
という不満と落胆の声だった。そしてみんなつまらない映画
を見たときのような幻滅の表情をしていた。
   
 サイスは諦めたようにバイクを止めた。結びとめられてい
た発炎筒はもう煙を発していなかった。サイスはゆっくりと
紐を解いてそれをはずした。警官が取り囲むようにサイスに
歩み寄った。そしてトキュウもこれで捕まるんだと思った次
の瞬間、サイスは再び爆発的にエンジンをふかすと、いきな
り群集をめがけて突進した。それを見て群衆は二つに割れた。
するとそこに地下手地の入り口が現れた。そしてサイスはそ
こに飛び込むかのように一瞬に内に消えてしまった。
 それを見て群集はどよめいた。なかには歓声を上げるもの
さえいた。群集はその本来の生命を取り戻したかのように生
き生きとし始めた。
   
 警察は急いで駆けつけたが後の祭りで、右往左往するだけ
だった。トキュウはとっさに思った。きっともうひとつの出
入り口から出てくるに違いないと、そしてそこへ駆けつけた
が、すぐに後から警官がやってきてそこを封鎖した。しかし
五分経っても十分経ってもいっこうに出てくる気配はなかっ
た。そして二十分ほどすると、遠くにバイクのエンジン音が
聞こえてくると、やがてだんだん大きくなって、再びサイス
が群集で混雑する通りに悠然と現れた。そしてサイスは再び
挑発するかのようにゆっくりは走り始めた。
   
 トキュウは不思議だった。だが、サイスは自分たちにはな
い何か地区別な能力を持っている凄い人間だと思うと夢を見
ているような興奮を覚えた。
 サイスは相変わらず自由自在に走りまわっていたが、今度
は少し様子が変だった。警察が作戦を変えたようだった。サ
イスが走る場所は時間が経つにつれて徐々に群集の集まりや
すい繁華街から遠ざかっていった。そしてついに、両側が線
路と大きな川に挟まれた人通りも少ない道路に追い詰められ
た。道路の両側は先程よりも堅固に封鎖され、線路側には容
易に越えられそうもない金網のフェンスが切れ目なく続いて
いて、川側には大人の背丈ほどのコンクリートの堤防が走っ
ていた。その封鎖された道路の途中にはアーチ型の鉄橋が掛
かっていたが、そこもすでに完全に封鎖されていた。
   
 警官が動き出した。両方から挟み撃ちにするかのように、
サイスをはさんでお互いの距離を縮めていった。じょじょに
押し寄せてきていた野次馬は警察の後ろからついていった。
トキュウたちもその中に混じっていた。
   
 片方は鉄橋を通り越して勢いよく迫ってきた。そしてサイ
スをはさむ距離が十メートルほどになったとき、歩みを止め
た。サイスは観念したかのようにバイクを止め大人しくなっ
た。そして四五人の警察官が近づき始めたとき、だれもが今
度こそは捕まるだろう思ったその瞬間、警察はまたもやへま
をやってしまった。サイスが突然激しくエンジン音を響かせ
ると、バイクをた雲に操りながら一瞬のうちに堤防に乗り上
げると、その上を、鉄橋に方に向かって走り始めた。サイス
は橋に近づいても堤防から降りなかった。そして橋を封鎖し
ている警察を避けるように、そのまま橋を支えているアーチ
型の鉄骨の上を上り始めた。うろたえる警察官をあざ笑うか
のように、悠然と昇り続けた。そして高さ三十メートルほど
もあるその橋の頂点に何事もなく達すると、今度は反対側に
向かっており始めた。そして向こう側につくと、ほとんど無
警戒に近いその封鎖線を難なく突破すると再び道路を走り始
めた。しかしサイス橋腰もスピードを上げなかった。警察が
追いつくのを待つかのようにゆっくりと走り続けた。
   
 だいぶ数は減ってはいたがほうぼうから集まってきた野次
馬にまぎれて、トキュウたちもサイスの後を追った。
 やがて体制を整えた警察は再びサイスをひとつの通りに追
い込んだ。その道路は川に沿って走る堤防と建ち並ぶさまざ
まな公共施設の堅固な塀と門扉にはさまれていた。今度は警
察は、堤防はもちろん、門扉のない施設の中にまで入って厳
重に警戒していた。そして道路の封鎖も二重三重にしていた。
 再びサイスの封じ込め作戦が始まった。そして次第にサイ
スの行動範囲は狭められていった。
   
 トキュウは今度こそ捕まるような気がした。しかし、どう
しても逃がしてやりたかった。そこでトキュウはひとり群集
から離れて、警察の眼を盗むようにコッソリと、建ち並ぶ建
物の裏側に周り、闇にまぎれてある施設の塀を飛び越えてそ
のなかに進入した。
 トキュウにはその施設がなんであるかは判らなかったが、
運良くそこには警察官の姿はなく、場所もちょうど封鎖され
ている道路の中ほどであったので、そこの門扉の隙間から、
道路の様子をはっきりと見ることができた。サイスは目と鼻
の先に迫る警官隊に囲まれながらも悠然と走りまわっていた。
しかしトキュウの眼には絶体絶命のように映った。トキュウ
は偶然にも門扉が動くことを確認すると、そこからサイスを
逃がすことを考えた。そこでトキュウはサイスが目の前を通
り過ぎようとしたとき、門扉をあけながら大声で
「ここから逃げろ」
と叫んだ。その声に気づいてかサイスは飛ぶように走りこん
できた。
   
 トキュウは警官が追いかけてくるのを見て、急いでその場
を走り去りながら、サイスに声をかけた。
「いま、裏門をかけるから」
と。そして裏門につくとそこを開け、サイスが来るのを待っ
た。しかしバイクの音はするがいっこうにサイスを現われな
かった。そして実際にやってきたのは複数の警官だった。そ
こでトキュウはすばやくその場を離れ、金網のフェンスを飛
び越えて隣の建物に移動し、そこからサイスの様子を覗った。
   
 その施設の広場をサイスは相変わらず自由自在に走りまわ
ってはいたが、正門も裏門は封鎖され、その上多くの警察官
に取り囲まれていたので、トキュウは万事休すであることを
実感した。
 そのとき建物のあちこちに灯りがつき始めた。ヤガテ窓の
カーテンが開かれ、そこに老人たちの姿が見え始めた。この
施設は老人ホームだったのだ。
 トキュウは今度こそ本当に捕まると思った。だがその瞬間
だった。またもやサイスが攻勢に出た。エンジンを最大限に
ふかしスピードを上げると、花壇やテーブルや椅子を蹴散ら
しながら走りまわり、そして強引に警官隊の包囲網を切り裂
くと、その建物の玄関のガラスドアに突進した。カラスは砕
けて激しく飛び散ったが、サイスは難なく侵入に成功した。
そしてサイスの姿は建物のなかに消えていったが、外では警
官隊があわただしく動きまわり、好奇心旺盛な野次馬はすで
に門扉の外にまで押し寄せてきており、周辺はますます騒然
となった。
 サイスはここがどういう場所かまったく意に返さぬかのよ
うに今までどおりに自由自在に走りまわっているようで、建
物のなかからはエンジンの爆発音が響き渡り、その至る所か
らガラスの割れる音や物が倒壊する音が聞こえてきた。そし
てじょじょに老人たちが建物のそとに出てきた。しかしトキ
ュウにとって不思議だったのは、その老人たちの誰一人とし
て恐怖や不安の色を浮かべていなかったことだ。むしろ楽し
いことを待ち望む子供のようにみんなウキウキとしているよ
うに見えた。
 老人たちと入れ替わるように警官がぞくぞくとなかに入っ
ていった。やがてしばらくすると、突然その二階建ての建物
の屋上から、夜空に向かってエンジン音が響き渡ると、その
上をバイクで走っているサイスの姿が見えてきた。そしてい
ったんサイスの姿が見えなくなると、突如空中を飛ぶサイス
の姿が眼に入ってくるなり、そのまま隣の建物の非常階段に
着地するのが見えた。それを見て群集はどよめき歓声を上げ
た。老人たちもいったい何が起こっているんだろうかという
風に、ときおりその方角に眼を向けながら生き生きとした表
情で話し始めている。
 サイスはその非常階段を上へ上へと昇り始めた。そして十
階ほどあるその建物の屋上にたどりつくと、自分の姿がみん
なに見えるような場所にバイクを止めて、じっとしていた。
おそらく警官がやってくるのを待っているのか。
 やがて警官が屋上に差しかかろうとしたとき、サイスは再
びバイクを走らせた。そしていったん道路とは反対側の屋上
のへりまでいくと、すばやく反転して今度はそこから道路の
方に向かってどんどん加速しながら走り出した。加速は最後
まで止むことなく、バイクはそのまま建物の屋上から空中に
飛びだした。そして道路を跳び越し、川に水しぶきを上げて
落下した。あっというまの出来事だった。群衆も警察も堤防
に押し寄せた。トキュウも一目散に駆けつけた。
 しかし、川は対岸の光景を反射しながら何事もなかったか
にように黒ぐろと流れていた。
   
   
 トキュウは群集にショウとサンドとゲンキとタイヨウを見
つけ、いっしょになった。
 みんな今眼の前で起こった出来事をどう表現して良いか判
らないといった感じで、子供のように眼を輝かせて興奮をか
くさなかった。
 やがて警察による形だけのだらだらとした捜索が始まった
が、トキュウたちはその場を離れた。なぜなら、誰もがサイ
スはもうどっかに泳ぎ着いて逃げたに違いないと思っていた
からだ。
 五人は繁華街へと向かった。歩きながらサンドが叫ぶよう
に言った。
「ひゃ、やった、やったぞ。ざまあみろってんだ。あれは完
全に警察の負けだ。何にも手を出せなんだから、チカラねえ」
タイヨウも大声で言った。
「ああ、ヘナチンポだ、ヘナチンポ」
ゲンキも大声で言った。
「みんな見た! バイクがそらを飛ぶなんて、あれたしかに
飛んだよね」
タイヨウが応えるように言った。
「ああ、と ん だ、と んだ、百メートルは 飛んだぞ」
ショウが声をうわずらせながら言った。
「オレは夢を見ているのかと思ったぞ」
トキュウもみんなにあわせるように大声で言った。
「夢なんかじゃない、現実だよ」
「そうだ、そうだ」
「実際に起こったんだよ」
ゲンキが少し押さえ気味に言った。
「あっ、そうだ、どうしても判らないことがあるんだよ。サ
イスが地下に入っていったとき、どこから出てきたんだろう
?」
ショウが答えた。
「それは決まってんだろう、電車に乗って隣の駅にいったん
だよ」
「ええ、だってバイクで電車に乗れないじゃん」
「バカだなあ、お前、何にも判っちゃいないんだな。それじ
ゃサイスが今まで言ってきたこと、意味ないじゃん。よく言
ってたじゃないか、俺たちは自由なんだって、何でもできる
んだって、決していいことはするなって、俺たちは思ったこ
と、感じたこと、やりたいことを自由にやっていいんだよ」
「そうだよ、俺たちは自由なんだ、何でもできるんだ」
「あっ、それからもうひとつ判らないことがあるんだよ。サ
イスが追い詰められたときさ、どうしてあそこの門が開いた
んだろう? いったい誰があけたんだろう?」
そのときトキュウが大声で言った。
「オレなんだよ、オレがあけたんだよ」
「そうか」
「やるなあ」
「もう何でもできそうな気がするよ」
「俺たちは無敵だ、もう怖いものなんてないぞ」
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 五人は興奮をひきずりながら繁華街に入っていった。通り
はすでに普段の光景を取り戻していたが、五人にとっては、
かつてない以上に音と変化に満ち溢れ、光り輝いていた。
   
   
 その後のトキュウたちは今まで以上に見慣れない若者たち
と激しく対立し、そして衝突しながら、思い出したように食
料を採取し、手ごろな獲物を狩った。
   
   
    4部に続く
   4部に続く