老人と猫(第三部)

 
     
               はだい悠 

       第三部

 

「ねえ、聞いたでしょう。奴ら、根性なしの言う通りなんですよ。わたしは人殺しなんです。たくさんの数え切れないくらいのね。噂は本当なんです。まあ、良いか、これも宿命よ。ワシなんか野垂れ死にしたほうが良いのさ」

「おじいさん、もう良いですよ。あの人たちの言うことなんか気にしないでください」

「僕もそう思います。おそらくそういう時代だったのでしょうから、仕方がなかったと思います」

「ああ、なんてこった。あの時もそうだった。みんなよってたかって良いんだ良いんだって。人が大勢死んだというのに。まっ、良いか、もう終わったことだなるようになるさ。これも運命よ、、、、なあタイガー、昔々あるとき、氷の国々が滅んだとさ。そしてこの国々はますます栄えたとさ。すると炎を食べる怪物が目を覚ましたとさ。怪物は炎を食べながら大いなる破壊と想像を繰り返したとさ。そして人々は認めるようになったとさ、破壊こそもっとも創造的なことであると云うことを。その怪物は勢いのある炎だけが好きなので、やがて第一の炎の国をあっさりと食べ尽くして捨てたとさ。だから第二の炎の国はあっという間になくなったとそ。そして、自分を持つものはいずれ滅びるように、その怪物はすべての炎を食い尽くして滅びたとさ。ああ、無は喜ばしいかな、なぜなら、時間と空間が失われても、無限の衝動に満たされるに違いないから。おい、タイガー、いったいどうしたんだ。また、驚いたような顔をして。何かあったのか。ふう、なになに、よく判らない、でも、なにか気になるのか、そうか、それにしても、みんな遅いなあ」

「このままでは話がまとまらないように思われるんですが、どうでしょう皆さん。弁護士さんはどう思いますか」

「そうですね、どのような結論が最善なのか、少し長引きそうですね。ところで、動物に詳しい園長さんにお聞きしたいんですが、動物が人間と会話をするなんて云うのはほんとうに可能なんでしょうか」

「皆さんはだいぶ興味がありそうですね。だも、残念ながらわたしたち動物関係者の間ではもう結論が出ているんですよ。いわゆる人間と会話が出来るためには、言葉を発する器官、つまり人間のように発達した発声器官と、ある程度の知性が必要なんです。でもどう見てもネコがこの二つを持っているとは思えないですよね」

「よくテレビなどに、動物と会話が出来る人間が出てきますけど、あれはどうなんですか」

「わたしも実際にそう云う人にあったことがありますよ。でも、よく観察してみると、ほとんどは、人間の勝手な解釈というのでしょうか、決してお互いに声を出して会話をしているという訳ではないのですよ。おじいさんのことを云ってるわけじゃないから気を悪くしないでくださいね」

「人間側の思い込みでしょうが」

「そうでしょうね。それともテレパシーってやつですかね」

「あっ、そうですね。そうか、テレパシーか。それなら判りやすいですね。きっと若い人たちも納得してくれるとでしょうね。あっ、それからもう一つ疑問があるんですよ。ライオンはどうしておじいさんを食べようとしなかったんでしょうね」

「それは簡単ですよ。ライオンはお腹がすいてなかったからですよ」

「そうなんですか、意外でしたね」

「おい、そうじゃないよ。ジジイの肉がまずかったから食わなかったんじゃないか。干からびていたんじゃなあ、ライオンだってな、食えねえよ」

「そういうことだな。タイガー、腰抜けどももたまには良い事も言うなあ。おっ、来たか、来たか、やっと来たか。もっとこっちに来い、ちっとも恐くないからな。大丈夫だよ、悪い人間たちじゃないから。さあ、食べな、みんなどうだった、、、、元気がないな。おい、喧嘩するなよ。なんだって、なぜオレに声をかけなかったって、お前は虫を追っかけていたじゃないかって、まあ、いいじゃないか、仲良くしろよ。ウレイ、どうしたんだ。元気がないぞ。こっちにこい。嫌か、それなら投げるぞ。ほうら。ウレイはめっきり元気がなくなったな。どうしたんだろう。あいつは大人しいって言うか、何にも話してくれないからな」

「意やあ、判りましたよ。もう、判りましたよ。おじいさんがすごい人だってことは。だって、ネコと話が出来るんですからね。これはすごいことですよ。でもねえ、おじいさんのためを思ってみんなここにきているのに、こうも話が噛み合わないんじゃなんにも解決しませんよ。おじいさん、お願いですから、もうこれ以上話をはぐらかさないでください。もう少し真剣に話しましょう。とにかく、おじいさんの為なんですから。それにしても、おじいさんは凄いですよ。もしかしたらネコだけじゃなく、犬なんかとも話が出来るんじゃないですか」
「もちろんだとも、どんな動物でも出来るさ」

「ライオンはどうですか、この間のライオンなんか言ってましたか」

「わからん、あいつらとわしとは初対面じゃったからなあ。話が出来るようになるには、ちと時間がかかるんじゃよ。まずお互いに相手のことがわかって、好きにならないとな」

「そんな能力いつ身につけたんですか」

「自然とじゃよ」

「おじいさんは若いとき何をやっていたんですか」

「オオカミと暮らしていた。いや、キツネもウサギもクマも居たな、、、、」

「オオカミですか。あの絶滅したというオオカミとですか。おじいさんの若いときはオオカミはまだ生きていたんですか」

「そうか、そういう動物たちと暮らしていたから、動物たちの考えている事が段々判るようになっていったと言うことなんでしょうね」

「そういうことじゃないんだな。動物のほうから話し掛けてくるんだな」
「まあまあそういうことにして、とにかくおじいさんの良い事は、動物を人間と同じ様に見ているということなんでしょうから、それはとても良いことだと思います」

「違う、違う、同じ様にじゃない、同じにみているんだ。皆さんだってきっと見ているはずだ。人間より人間に似た動物や動物より動物に似た人間を。ワシが若いときじゃった。春になったので、牛に鋤を引かせて田んぼを耕そうとしたら、牛に元気がないのじゃ、どうやら病気になったみたいで、でも、牛のやつは何があってもとにかく耕すだけは耕さなければならないということで、ぜいぜい言いながら頑張ってくれた。そしてちょうど全部耕し終わったその晩に、安心したような顔をして死んでしまったのさ。皆さんには信じられないことかもしれないが本当の話なのさ」

「へえ、おじいさんは農業をやっていたんですか。そう言えば昔から、不思議な行動をする動物の話しが、農業をやる人々の間で色々と語り継がれてきていますから、その話しも本当かも知れませんね」

「まだ、あるぞ。そのネコはウレイといってな、あまり自分のことを話したがらない大人しいメスネコなんだが、たしか二年ぐらい前だったかな、子供が生まれてな、そこで子供をつれてワシに見せに来たんだよな。生まれたらアイサツに来いと言ったわけじゃないのにさ。その前に食べ物を良くやっていたから気を使って挨拶に来たのかな。紙に書いた字が読めるわけでもないのに、法律が判るわけでもないのに、偉いもんだ。なあ、みなさんよ、どうしてそうつまらなそうな顔をするんじゃ。そんなに信じられないですかね。それならこんな話はどうでしょう。あれはこの町が焼け野原となって、その日の食うものにも困っているときじゃった。あるところで数人の男と雨宿りをしていたとき、犬が近寄ってきていっしょに雨宿りをすることになったのじゃ。他の男たちはそのイヌを殺して食べようと密かに相談を始めたんじゃ。そこでわたしは提案した。いまは痩せているから、なにかエサをやってもう少し太らせてから食べたほうが良いって。すると男たちの中には手名づけようとして食べ物を与えるものが出てきた。ワシはその場を去った。そして数ヵ月後、そこから何十キロも離れたところを歩いていたとき、そのイヌに再びあった。その犬があのときの犬とわかったのは、片方の耳が喧嘩で噛みきられたのか、ほとんどなかったからだ。ワシは知らん振りして歩くことにした。ところが、その犬は、ワシといっしょに散歩しているかのように、ワシの斜め前、二、三メートルのところをずっと歩き続けるんじゃよ。ワシは、これは偶然に違いない、犬があの日のことを覚えている訳はないと思いながら、ときどき早く歩いたりゆっくり歩いたり、するとイヌのやつもそれに合わせるかのように早く歩いたりゆっくり歩いたりするんじゃよ。ワシは、イヌがいつあの日のことを持ち出すのかと思うと本当にびくびくしていたよ。そこでワシは、用もないのに駅に入ってそのイヌをやり過ごす事にしたんだよ。本当の話じゃ。なあに、そんなに不思議そうな顔をして。それでは不思議ついでにこういう話はどうだろう。ワシはよく真昼間に星を見るときがあるんじゃか、どうだい月じゃないよ、星だよ。笑いましたね、そんなにおかしいですか」

「いえ、笑ったわけではないですけど。でも、よっぽど視力が良いんですね。それにしても不思議な経験をしているんですね。おじいさんは」

「ワシにとっては不思議でもなんでもないんだが。そう言えばこんな経験もしたことがあるよ。ワシは雪の結晶が出来るところを見たことがあるんじゃよ」

「へえっ、それは凄いですね。ということは空の上に行ったという事じゃないですか」

「そうじゃ、空の上に行ったんじゃ」

「まるで仙人みたいですね。それでどのようにして雪の結晶は出来るんですか」

「それはだな、まず空中に小さな氷の粒が浮いているんだよ。するとその粒から伸びるように六方向に、同時に、しかもまったく同じ形の結晶が作られていくんだよ。なぜ前も後ろも、右も左も、斜め前も斜め後ろも、同時に同じ物が作られると思う、それはだね。もし、右と左が違っていたら、バランスガ悪くて浮いていられないじゃないか。浮いていられなければそれ以上結晶が出来なくなるじゃないか。どうだい納得できましたかな、いや信じられないって。それなら良いでしょう。よしこうなったらこんな不思議な話はどうですか。何の感情もなく、ましてや憎しみや怒りからでもなく人を殺した男の話とかは。いや、まだ他にもありますよ。愛するがゆえに、愛するがあまり妻子を殺した男の話しとか。どうですか、不思議な話し信じられない話はいかかですか」
「もうたくさんです。おじいさんの話しを聞いていると、不愉快というか、だんだんいらいらしてきました。皆さんだってきっと同じ気持だと思いますよ。そうでしょう」

「へえ、どうして、こりゃあたまげたなあ。ワシはどうみたって捨てられたぼろきれ、いやいや傷ついて今にも死にそうにして草原にうずくまっている老いたサルかな。そんな無力なサルを捕まえていらいらするなんで、皆さんはどうかしてますよ。そんなやつは自然の成り行きに任せていれば良いじゃないですか。わしにいったい何が出来るっていうんでしょうかね。ワシは誰にも迷惑をかけずにですよ、そうですね、道端の雑草のように、ひっそりとですよ、なるがままに生きてるだけじゃないですか。まあ、このたびは、ちょっと迷惑かけたかもしれませんけどね。そうですか、それら誤りますよ、ごめんなさい。さあ、タイガーお前も一緒に誤るか、ごめんなさい、ごめんなさい、、、、そうじゃない。それならどこが気に入らないというんでしょう。あっ、そうですか、雑草のくせに一人前のロを聞くのが気に入らないというのでしょうか。それともワシがないか皆さんの気に触るようなことを言いましたかね。うっ、そうですか、ワシがロから出任せを言ったということですか。つまり嘘をついたということですか。それが皆さんをいらいらさせていることですか。でもなあ、ワシに嘘をつかせたのは、皆さんじゃないですか。というのも、ワシはこの十五年、いや二十年間というものは嘘をついたことなどなかったのだから。なぜだと思う、それはなこの二十年間というもの人間と話したことなでなかったからじゃよ。ところが、あなた方はワシのところに押しかけて来て無理やりしゃべらせた。だからワシも久しぶりに嘘つきになるほか仕方がないじゃないか。なあ、タイガー、だからさ、しゃべればすぐ嘘つきになってしまう人間がいまさら、嘘だ、出任せだと言ってみたって始まらないんじゃないですかねえ」

「いや、参りました。このなかで、年齢がもっともおじいさんに近いと思われるわたしでさえ、おじいさんの言うことは理解ではませんね。そんなに人生を無駄に生きてきたつもりはないんですけどね。いま流行に言うなら、まるで宇宙人と話しているみたいって言う感じですかね。どうでしょうか、皆さん、わたしたちは今日こうやって集まって、おじいさんのためには何が一番良いだろうかと、誠意をもって真剣に今まで話し合ってきましたが、しかし、どうしても話がかみ合いませんでした。おじいさんは真剣でなかったと批判しているわけではないのですが。でも、わたしたちはやるべきことはやったと思います。まあ、おかげで、おじいさんが自分から進んでライオンの檻に入ったことが判りましたので、この問題もこれ以上大きくなってこじれるようなことはないと思います。それに、おじいさんも病院に戻るのも施設に入るのも心から望んでおられないようなので、そこでどうでしょう。このままおじいさんのやりたいようにやらせてあげるというのは、皆さん、どう思いますか」
「わたしたちの言うとおりにやってくれるのが、おじいさんには良いことなんですけどねえ。でも、いくら職務とはいえ、それを強制するわけにも行きませんからねえ。もちろん上の方にも相談してみますけどね。しかたがないんでしょうね」

「なにはともあれ、人々のトラブルを円満に解決しなければならない弁護士の私としましては、とりあえず園長さんの意見には賛成ですね」

「この中で最も若いと思われる記者さんはどうですか」

「私ははっきりいって反対ですね。なぜなら、おじいさんをこのままにして置いたらどうなるかは目に見えてますからね。たしかに、おじいさんと私たちとは話しがかみ合いませんでした。でもそれは仕方がないことい゛はないでしょう。長くこのような生活を続けていたみたいですから、世の中が変わったということが判らないんではないでしょうか。それよりも、おじいさんがなぜこのような生活に入って行ったかということを、もう少し考えてあげるべきだと思います。私が思うには、何かの体験で深く傷ついたからだと思います。それはおじいさんの言葉の端々から伺えるんですが、この前の戦争体験ではないかと思います。後遺症と云いますか、あの不幸で悲惨な体験で深く傷ついた心が癒されなかったために、戦争が終わってもまともな生活に入ることが出来ずに現在に至っているのだと思います。それで私たちとは正常な会話が出来ないというか、私たちの理解に苦しむような言動しか出来なくなっているのだと思います。でも、こうなったのは決しておじいさんの所為ではないのです。当時のゆがんだ社会の所為なのです。むしろおじいさんは犠牲者なのです。ですから、おじいさんの為を本当に思うなら、もう少し時間をかけて説得すべきだと思います。何も今日中に無理やり結論を出す必要はないと思います。もし、このままおじいさんの望むとおりにさせて置いたら、それこそ見殺しにしてしまいかねませんよ。入社以来、私は社会部の記者として、社会の片隅で、様々な理由から、あまり恵まれない生活をしている弱い立場の人たちを取り上げては、わたしたちの社会の力で、そういう人たちをどうにか人並みの生活が出来るように援助してあげるべきだと訴えてきました。ですから、このままおじいさんを放っておくような意見にはとても賛成できません」

「偉い、偉いなあ。このお兄さんは弱いものを助けたいんだって。でもなあ。タイガー、お前、どう思う。弱い仲間が居なくなったほうが本当にいいと思うか。お前たちは弱い仲間が居るおかげで、安心してられるんじゃないか。それに、いじめたりいじめられたりしているから退屈しないんじゃないか。みんな同じ様に強かったら喧嘩にならないようにって、いつも気を使ってばかりいて大変だろう」

「ええと、私がなぜ、そのような弱い立場の人たちに特別の関心を持って新聞記事を書いているかと言いますと。それは私たちの社会が目指している理想の社会、つまり、先程からも何度も出てきましたが、日本人である限りどんな人でも人並みなというか、人間的な文化的な生活が保障されている社会の実現に少しでも役立ちたいと思っているからです」

「ブンカテキ、文化的ってなんだろうね」

「えへん、それはですね、文化的な生活というのは、ある程度の教養を身につけて、スポーツとか芸術に親しむことが出来て、あまり病気にもならないような、たとえなったとしても、すぐ医者に見てもらえるような、健康的で衛生的な生活ということでしょうか」

「エイセイテキ、衛生的ね。ワシは皆さんからみれば汚いんでしょうね。ばい菌がいっぱいなんでしょうね。でも、病気なんかしたことないよ。そうだ、そうだ、ばい菌だって精一杯生きたいんだろうね。なんといわれようときっと生きたいんだろうね」

「そして、ええと、今の日本はその理想とする社会には、まだまだほど遠いんですが、しかし、徐々にではありますが、着実に近づきつつあることは間違いないんです。それには、私たち新聞記者がやってきたことが、つまり、社会の矛盾や不正に翻弄されながら貧苦にあえいで居る弱い立場の人たちのことを、私たちの繁栄する陰の部分として、または、ある種の犠牲者として積極的に取り上げて人々に訴えてきたことが、幾分が貢献したのではないかと自負しています」

「へえ、たまげたなあ、弱いもののことを新聞に書いてみんなに知らせたら、世の中が良くなるんだって、おい、タイガーどうだい、お前たちの生活良くなっているかい。おっ、そうか、お前たちは、悔しいことや腹の立つことがあってもさ、新聞に書いてみんなに知らせることが出来ないから、生活が良くならないんだ。そうかあ」
「ええと、それからわたしは、おじいさんの言うことは、はっきり言って良く理解できません。でも、やっていること、つまり、おじいさんの生き方にはどことなく共感ができるような気がします。なぜなら、現代のほとんど浪費に近いような消費社会にあって、おじいさんのような贅沢とはまったく無縁な生活は、わたしたちに今の生活をもう少し見直してはどうかと暗示しているだけではなく、このままいったら大変なことになるに違いないと警鐘を慣らしている様にも見えるからです。それからこのような自然のなかで動物や植物と親しむ生活は、自然を破壊し数多くの動植物を絶滅の危機に追いやっているわたしたちは、もう少し見習うべきだと思います」
「おっと、それは違う、間違いだ。これだけは言わないと。みんながワシのような生き方をしたら、日本はあっという間に滅びてしまうではないか。これは良くない、なあ、タイガー、でも、まあ、良いか。滅びるものは滅びれば良いのさ。それよりさ、世の中が良くなっているって言ったけどいったい何が良くなっているんだろうね。なにが変わったんだろうね」

「おじいさん、それはもう良くなりましたよ。判りませんが、この二十世紀というもの日本は画期的に変わりましたよ。ねえ、皆さん。まずは、主権はわたしたち国民にあるという民主主義に変わりましたし、人間は皆平等で個人として尊重されるようになりましたし、そのほかにも色んな権利が認められ保障取れるようになりました。また他人に迷惑をかけない限り何をやろうがどんな職業につこうが自由ですし、何をどんな風に表現しようが自由ですし、どんな意見や考えを述べようが自由ですし、どんなことを報道しようが自由ですからね。まあ、そのなかでも最も変わったのは、平和を愛し二度と戦争を起こさないようにしようという国民の意識でしょうか。それもこれもみんな、先程弁護士さんからお話があったように憲法のおかげなんですよ」

「いや、またですか、また憲法の話しですか。その憲法というやつ、ワシには難しすぎてよく判らんのじゃよ」

「そんなことはないですよ。憲法は誰にもわかるような文章で書かれてありますから、読めばおじいさんにだってきっと理解が出来るはずです。それよりも今の私たちの生活とどんなに深く関わっているかが判るはずです。とにかく私たちの社会は良くなりました。何もかも人間が望むように便利になりました。生活レベルは劇的に向上しました。衣食住に困るような人はほとんどいなくなりました。教育も望むものは誰でも高いレベルまで受けられるようになりました。おかげで科学も学問も発達し色んなことを知ることが出来るようになりました。病気になっても誰でも医者に見てもらえるようになりました。そのおかげで世界一の長寿国になっているではないですか。他にもまだまだありますよ。誰でも充分な余暇がもてるようになり、趣味やスポーツだけではなく、芸術や自然にも好きなだけ自由に親しめるようになりました。行きたいと思えばどこへでも自由に旅行が出来るようになりました。まさに文字通り健康で文化的な生活が出来るようになったわけですよ。もちろん、便利になって生活レベルが向上したからといって、何の問題もないわけではありません。その意味ではおじいさんの疑問もなんとなくわるような気がします。交通や産業の発達に伴って、公害で健康を損なったり、それまでなかったような病気に苦しむ人々が多く出てきましたし、事故や災害の危険に会う確率が考えられないほど高くなっています。犯罪だってだんだん凶悪化してきていますし、その数も増える一方で決してへる様には見えません。社会がめまぐるしく変化し複雑になるに従って。予期せぬ事件やトラブルに巻き込まれたりする人々や、人間関係で悩む苦しむ人々が増えてきました。それから、いくら私たちの生活が豊かになったといっても、失業の不安は常に付きまといますし、いくら人間の権利が保障され自由で平等だからといっても、放っておけば、強い者はますます強くなり、弱いものはますます弱くなり、貧富の差もどんどん拡大する傾向にありますし、権力を握る政治家だって、私たちがちゃんと監視しておかないと、何をしでかすか判らないというありさまですから。まあ、このように問題点を取り上げたらキリがありません。そのせいでしょうか、わたしたちは夜も眠れないほどに忙しいんですけどね。本当にまったくもう、今日もこれから夜にかけて、取材に行かなければならないところがあるんですよ。まあ、でも、これが仕事ですからね。しかし、それでもですよ、わたしたちの社会は確実に良くなっていることは間違いないんですよ、。理想とする社会に確実に近づいていることは間違いないんですよね。それもこれもみんな私たちマスメディアと、理想社会の実現を信じている国民がですよ、力を合わせて、わたしたちの社会の発展の妨げるような不正や悪を批判し取り除いているおかげなんですよ。こんなにがんばっているのに、未来が希望のないものにされたらたまりませんからね。もし今よりも悪くなったら私たちマスコミの責任にされかねないでしょうね。あっ、それから今までは日本についてでしたが、眼を世界に転ずると、世界にはいまだに、至る所で、人ロの増加に伴う食糧不足から、飢餓や貧困や戦争に苦しむ人々がたくさんいますよね。それは日本のことじゃないから私たちには関係ないとは、ヒューマニズムの立場からしてとてもそんなことは言えませんよね。同じ人間ですし、突き詰めれば、どこかで日本と関わり合っていますからね。しかし、戦後日本はいろんな問題を抱えながらも、見事に復興したわけですから、世界じゅうの人々が力をあわせ、知恵と努力を結集すれば、そのような難問も解決することは決して不可能ではないと思います。そうすればきっと世界の人々が、私たちと同じ様に文化的で豊かと言いますか、快適で衛生的な生活が出来るようになるんでしょうね」
「ほう、なんて自信たっぷりときちんとしゃべる人なんだろう。あっちこっちに問題を抱えながらも、それを整理できているんだから、若いのに偉いのう。ワシなんか今日のことで目先のことで精一杯じゃ。それに、もう年なのか、頭が悪いのかワシにはちっとも判らんのじゃよ。そりゃあ、食い物がなければ人ロは減るだろうし、あれば増えるだろうね。それゃあ腹が減れば盗んでも食べるだろうし、そうなりゃあ喧嘩にもなるだろうな、なあ、タイガー。それから、放って置いたら強いものはますます強くなって、なんでも独り締めするようになるって言うけど、いったい何になるって言うんだろうね。人間はどこまで行っても人間だろうが、まさか、ライオンやクマにでもなって、人間を食っちまうって言うんじゃないだろうね。見たたことも聞いたこともないからな。さあ、どうだろう。強い者を一度放っておいて好きなようにさせてみたら、どうなるか見たいもんだ。あっ、それから戦争や飢餓のない世界のほうが良いみたいだけど、本当にそうなのかな」

「おっ、それは、おじいさん、当然、当然じゃないですか。戦争や飢餓というものがどれほど人間を不幸にし悲惨な目に合わせているか、おじいさんならきっと判っているはずです。まあ、冗談なんでしょうけどね」

「ああ、判らない、ワシには判らない。なんか聞いていると、事故とか災害とか危険なことのない世界が良いみたいだね」

「それはそうでしょう、当然でしょう」

「なんか聞いていると、便利でほしいものがすぐ手に入る生活が良いみたいだね」

「それはそうでしょう、当然でしょう」

「なんか聞いていると、快適で衛生的な生活が良いみたいだね」

「それはそうでしょう、当然でしょう」

「なんか聞いていると、知識がいっぱい有ってスポーツや芸術に親しめる生活が良いみたいだね」

「それはそうでしょう、当然でしょう」

「なんか聞いていると、ワシみたいに汚くて知識もなくて、スポーツにも芸術にも親しまない人間は居ないほうが良いみたいだね」

「そっ、そんなことは言ってないでしょう。ああ、本当に本当に、おじいさんは世界が変わったということが判らないみたいですね。それも誰が見てもよく変わったということに」

「そうかな、そうかなあ。何にも変わっていない様に見えるんだけどなあ。おお、あそこで遊んでいる幸せそうな母親と子供、幸せそうなことは五十年前とどこが変わっているのかなあ。おお、あそこにうずくまっているネコは、もうエサをだべようとしない、死ぬしかないんだろうか。誰も助けてくれないことなんか五十年前とどこが変わっているのかなあ。ああ、今朝、黒ありの群れと赤ありの群れが戦争をしていたけど、どっちが勝ったんだろう。戦争が絶えないことなんか五十年前とどこが変わっているのかなあ。ああ、あそこの酔っ払い、暇でしょうがないから。わしに因縁を付けようとしている奴らの性悪なとこなんか五十年前とどこが変わっているのかなあ。夕べ、流れ星をみたが、五十年前の流れ星とどこが違うのかなあ。春になれば葉をつけ、秋になれば葉を落とす木々は五十年前とどこが変わっているのかなあ。この名もない小さな花もこの鳥の鳴き声も、五十年前とどこが変わっているのかなあ。良いことは良い事は何もない何もない。良いことはないが悪いこともない。忙しくもないが、そんなに退屈でもない。いったい何が変わったんだろう。いったい何が良くなったんだろう。まあ、良いか、なるようになるさ。滅ぶものは滅べは良いのさ」

「もしもし、おじいさん、おじいささんの言っていることは、こうやって目に見えるだけのほんの身近な狭い小さな世界のことではないですか。地球というのは、とてつもなく大きいのです。世界というのはもっともっと広いのです。それに複雑でいろんなことがたくさんあるんです。とにかく世界は間違いなく発展し、進歩しているんです。私たちがこんなに頑張っているんですから、良くならないわけないでしょう」

「そうなの、でもワシにはよく判らない。この目で見たわけじゃないからなあ。なんか聞いていると、世界中がみんな同じ様に豊かにならなければだめみたいだね。なにがなんでも将来が今よりも良くならないとだめみたいだね」

「それは当然じゃないですか。それこそ人類が長い間抱いてきた夢じゃないですか。誰もが生活が豊かになって、誰もが健康で長生きが出来るような世界になることを望んでいたんじゃないですか」

「そうなの、でもワシにはよく判らない。なんか聞いていると、なにが何でも健康で長生きが出来る生活が良いみたいだね」

「それは当然じゃないですか。もちろん生活が豊かになるということは、犯罪とか災害とか失業もなく安心して生活が出来る社会ということも意味しているんですよ」

「へえ、これはたまげたなあ。いつでも仕事があって、暴力や悪いこともなく、揉め事も、危険なことも、病気もない社会がそんなに良いのか」

「それは当然でしょう、おじいさん。冗談もそこまで行くと、ちょっとね、、、、」

「へえ、するってえと、働かないものはいないほうが良いんだ。悪いやつは居ないほうが良いんだ。揉め事を起こすやつも居ないほうが良いんだ。病気に掛かるやつも居ないほうが良いんだ。危険な物はなくなったほうが良いんだ。ワシは働いていないからいなくなった方が良いんだ。それに知識もないし広い世界も知らないしな。あそこにいる酔っ払いはすぐ揉め事を起こすからいなくなった方が良いんだ。ばい菌だらけのネズミも、盗みをするネコも、人に噛み付くイヌもみんないなくなった方が良いんだ。腐った落ち葉もボーフラのいる水溜りもなくなった方が良いんだ。泥んこの道も、歩いていてつまずく石もなくなった方が良いんだ。風が吹いて倒れるような木も、美しくない変わった花もなくなった方が良いんだ。糞を撒き散らすハトもいなくなった方が良いんだ」
「そんなことは言ってないですよ。ああ、もう良いでしょう。おじいさんの話しを聞いていると本当に頭が変になりそうです。このままだとおじいさんは、なんで人殺しはいけないんだと言いかねない様な気がしてきました。私は何とかして弱い立場にあるおじいさんを弁護しようとしてきました。しかし、もう限界です。できません。どうやら私たちはおじいさんのことを買いかぶっていたようです。この前の悲惨な戦争の犠牲者として、その後の後遺症に苦しみながらも、このような自然のなかで、植物に接したり動物に接したりして、
この物質中心の現代の生活の中にあって、その物質的には決して豊かとはいえない精神的生活を大事にして、自由に穏やかに、そして余裕を持ってもんびりと生きているんだと思っていました。でも、よくよくおじいさんの話しを聞いていると、私たちが毎日生きていくために心のよりどころとしているような夢とか希望とかを感じさせるようなものはどこにもなく、むしろ、まあ、良いか、とか、なるようになるさ、とか言う言葉から読み取れるように、投げやりで無気力な感じを与えるだけで、それでは、わたしたちの将来や地球の未来はどうなってもかまわない、自分さえ良ければいいんだという、鈍感なエゴイスト以外のなにものでもないですよ。それから、私たちは、それまでおじいさんと話がかみ合わなかったのはおじいさんの精神的な傷の所為ではないかと思ってきましたが、どうやらそれは私たちのとんだ勘違いでした。おじいさんがわたしたちを、からかおうとしてわざとそうしていたのではないかと思うよすになって来ました。それだけじゃない、おじいさんはネコと遊んだりエサをやったりして、いかにもネコを大切しているかのように見せながらも、実際は、傷ついたり死にかけたりしているネコを助けようという気持ちはさらさらなく、むしろ喧嘩やいじめをけしかけて喜んでいるような冷たい人間に思えてきました。それだけじゃない、平和や平等を愛するような穏やかな外見を見せながらも、実際は、戦争や災害を期待するようなことを言ったり、暴力や破壊を賛美するようなことを言ったり、憎しみや嫌悪をかき立てるようなことを言ったり、差別や犯罪を助長するようなことを言ったり、誰もが望まないような不幸や病気を肯定するようなことを言ったりして、ほんとうにあなたは訳の判らない支離滅裂な人だ。ほんとうにあなたは自分さえよければいいというかってわがままな人だ。ほんとうにあなたは世界がどうなってもかまわないという無責任な人だ。ほんとうにあなたは他の人たちが一生懸命になって、世の中を良くしようとしているのに、自分ではまったくその気はなく、他の人が苦労をして築き上げた豊かな社会に頼りきって、まるで寄生しているかのようにして生きている怠け者です。もともとあなたは働く気などまったくない敗北者です」

「へえ、てえってことは、あれだな、今、そんなに良い世の中だから、自分はほんとうに幸せなんだろうかって疑ってはいけないんだな。それから、もし誰かが困っていたら決して見ぬ振りをしてはいけないんだな。それから、奥さんや子供が言うことを聞かないからといって、決して殴ろうなどとは思っていけないんだな。それから、人がどんなに大勢集まっていても、なんの役にも立たないとか、無責任などと思ってはいけないんだな。それから、もしかして自分はみんなが望むような意見だけをいっているんではないかなどと決して思ってはいけないんだな。それから、人と違ったことをする人間を、あいつは変わった奴だなどと決して思ってはいけないんだな。それから、あいつはオレより仕事が出来ないくせに、なぜオレより給料が高いんだなどと決して思ってはいけないんだな。それから、上から命令されたとおりにみんなと同じ事をやると楽だななどと決して思ってはいけないんだな。それから、ホームレスを怠け者だと決して思ってはいけないんだな。それから、どんなに忙しくても自由がないなどとは決して思ってはいけないんだな」

「それは、そうでしょう」

 《おや、なんだこのイヤな匂いは、なんだこのイヤな雰囲気は》

「へえ、民主主義ねえ、自由平等ねえ。そんなに良いのかい。おい、タイガー、どうした。そんなにたまげた顔をして何か起こったのかい?」

「それから、おじいさん、あなたは自分では自由に生きているつもりかもしれませんが、しかし、実際は、わたしたちの社会生活に絶対必要な約束事や規則を守らない、いや初めから守る気などまったくない、いわゆる自由というものを履き違えた自己中心的な人間なのです。あなたは傲慢なのか無知なのか、冷酷なのか無頓着なのか、ペシミストなのか単なる運命論者なのか、人の弱みにつけ込む疫病神なのか、狂人気取りの嘘つきなのか、根っからの悪人なのか、子供のように無垢なのか、頭がおかしい人なのか、夢を見すぎる人なのか、破壊者なのか、獣なのか、あなたはいったいなんなんだ。私にはもうさっぱり判らなくなりました。今わたしは、貴重な時間を無駄にしたような嫌な気持になっています。できるなら一刻も早くこの場から立ち去りたいです」

「いやあ、またですか。どうしてそんなにいらいらするんだろう。何かよっぽど不愉快なことでも言いましたかな。でも仮に言ったとしても、それはしょせん老人の思いつき、それも死にかけているね。そんな老人のたわ言をどうして真に受けるんでしょうね。まさかまさか、ワシになにか力があるとでも思ってるんじゃないだろうね。ワシは誰が見たってこの通りの無力な老人、まさに見たとおりのサルのような老人、それ以外の何者でもないですよ。おい、どうした、タイガー、なにを恐がっているんだ。ああ、あれか、向こうから来る白い服を着た二人か。あれはケンキュウジョの人間ではないか。奴らがどうかしたのか、お前、まさか、あれを見たのか。そうか見たのか。いや、大丈夫だ。怖がることはない、ここでじっとしておれ」

《怖い、ケンキュウジョの奴らだ。捕まると何をされるかわからない、スキを見て逃げないと》

「先輩、あのネコじゃないですか、わたしたちの実験装置を壊したのは」

「そうだ、あのネコだ。たしかにあのネコだ。ちょっとすみません。お宅の後ろに隠れているそのネコ、そのネコはおじいさんのですのか。そのネコ、今日私たちの実験室に無断で入ってきて実験装置を壊して行ったんですよ」

「それで、どうしようというんじゃ」

「いえ、捕まえてどうしようという訳じゃないんですが、いちおう言っておいた方がいいと思って」

「そうだって、安心しな。お前を実験材料にしないってさ。みんなも、ああ、逃げていく、きっと何かをされると思ったんだな。無理もないな、やってる事がやってることだからな」

「そんな悪人呼ばわりしないでください。私たちは医学の発展のためにやっていることですから。ほんとうは動物は好きなんですよ。おお、よしよし、何もしないからね」

「まだ、恐がっているよ。どうしても好きになれないみたいだね。ふん、ふん、そうか、そうか、犬にネコにネズミにサルか、なんでもやるんだな。そう医学の発展のためだからね」

「おじいさんは私たちがやっていること見てきたようなことを言いますね」

「いや、こいつがね、タイガーがね自分で見てきたことを話してくれたんだよ」

「ほんとうですよ、このおじいさんは、ネコと話が出来るんですよ」

「そうか、そうか、それで階段をあがったところに富士山の絵がある。誰のかは判らないが、そうだろうな。天井には壊れた扇風機があるのか。薄暗い廊下があって、便所があって。窓から銀杏並木が見えるのか。その隣に動物の居る部屋が有るんだな」

「まさか、偶然さ」

「そうだよ、あてずっぽうだよ。だってネコはさっきから黙っているだけだよ。みんなも、笑っているじゃないか、わたしたちからかわれているんだよ」

「このおじいさんはテレパシーで話が出来るんだって」

「あっ、そうなんですか、そうでしょうね。だって話が出来るってことは、人間と同じように考えたり思ったりすることが出来るってことですからね。わたしたちの先生が言ってました。動物というのは現在を漠然と生きているだけだって、なぜなら、人間のように自分のことや過去のことや未来のことを考えたり思ったりする知性がないからって。だからもし、動物がそのような知性を持っていたら、動物は人間に復讐のための戦争を仕掛けていたろうって。それは、人間が動物にやっていること、またやってきたことを動物自身が知ることになるからって。でもそんなことは歴史上起こらなかったわけですから、動物には人間のやっていることを知る能力がないということなんでしょうね。そもそも動物に自分たちより知性の高い人間の事なんか判るはずないですよね」

「そうですよ、そうですよ。お互いに殺しあって食い合うような動物に人間のことなん判るはずないですよ」

「へえ、たまげた、たまげた。こりゃあたまげた。百回でも、千回でもたまげてやる。今まで動物が人間に戦争を仕掛けたことがないからといって、どうして動物に人間のやっていることを知る能力がないといえるんだい。それから、動物にその知る能力がないからといってどうして人間の事が判らないといえるんだい。こりゃあたまげた。ほんとうにたまげた。じゃなにか、このワシが、この年老いて死にかけているサルが、この誰が見たって捨てられたぼろこれのようなサルが、人間のやっていることや、人間のことが判らないとでも言うのかい。そうなことはないだろう。それなら、草原で年老いて死にかけている人間が、誰が見たって捨てられたぼろきれのような人間が、人間のやっていることや人間のことが判らないはずはないだろう。皆知っているんだよ。みんな人間のこと判っているんだよ。でも、みんな自分の生命を生きるのに精一杯でさ、いまさら人間の横暴さに異議をとなえたからって、どうにもなるもんでないとあきらめているんだよ。だってそうじゃないか、この年老いて死にかけているサルが何か言ったら誰か聞いてくれるか。いっぱいいっぱい人間に付いて知っていることがあるのに、娘たちよ、息子たちよ、誰も聞いてくれないじゃないか。こうやればこうなる。こういうことをやれば、こういう不幸や悲惨なことが待ち受けていることが判っているのに、いったい誰が聞いてくれるというのじゃ。若者たちは聞いてくれるか、人の上に立つ者は聞いてくれるか、誰も聞いてくれないだろう。だからワシはもうあきらめているんじゃよ。いまさらなにを言ったって無駄だって、なるようになるのさ。人間のワシでさえそうなのだから、それなら動物たちがあきらめるのも当然じゃないか。なあ、タイガー。やあ、皆さん、もうワシの話しには興味がなさそうですね。それぞれにひそひそ話をし始めたりして、あの飲んだくれどももどっかに行ってしまたようだし、それではどうでしょう、退屈しのぎにワシの詩などは、おほん、ええと、

 死は喜ばしいかな
 なぜなら、たとえ
 私が消えうせても、私がいたところには
 必ず新しい生命が住み始めるから

 衰えは喜ばしいかな
 なぜなら、たとえ
 この町が衰えても、どこかの町が
 必ず繁栄するだろうから

 滅びは喜ばしいかな
 なぜなら、たとえ
 この国が滅びても、どこかに
 必ず新しい国が興るだろうから

 もうそろそろ認めよう
 破壊が最も創造的であると云うことを
 氷の国々が滅び火の国々が栄えようとしている
 そして炎を食い物とする怪物が目を覚まし
 大いなる創造とともに、大いなる破壊を繰り返すだろう
 その怪物は、いざとなれば第一の火の国を捨てるだろう
 だから第二の火の国はひとたまりもないだろう
 
 やがて自己を持つものが必ず滅びるように
 その怪物もすべての炎を食い尽くして滅びるだろう
 無は喜ばしいかな
 なぜなら、たとえ
 時間と空間が失われても
 必ず存在への無限の衝動に満たされるに違いないから

おい、どうした、どこへ行くんだ。そうか、少し退屈じゃったかな。良いか、タイガー、つまらん喧嘩はするなよ」
 《ケンカスルナヨ、ケンカスルナヨ、、、、嫌だったなあ、恐かったなあ、なんだあのケンキュウジョって奴らは、安心して眠れもしない。
 みんなどこに居るんだろう。
 居ないなあ、たしかこっちのほうだったな。
 気味の悪いな鳴き声が下のは。
 みんなどこへ行ったんだろう。
 静かだなあ、静かだなあ。
 ハトもいない、カラスもいない、あれ、モノオキの屋根にいるのはマヌケじゃないか。
 おい、マヌケ、そんなところで何しているんだい?
 ちっちゃくなって隠れているのか、降りて来いよ》

 《あっ、タイガー、そんなに大きな声を出すなよ。
 良いからお前もあがって来いよ》

 《どうしたんだろう。
 ヨイショっと。
 どうしたんだ、マヌケ、そんなにおっかない顔をして、お前らしくもない》

 《ツヨソウがやられた。
 ケンキュウジョのゴミ箱のような匂いのする奴にやられた。
 ツヨソウはあの通りだから、奴に向かって行ったんだ、そしたら、あっというまに首を噛まれて、動かなくなってしまった。
 凄い奴だ、イヌみたいに大きい。
 奴はツヨソウの頭をくわえてどこかに行った。
 もしかすると、まだこの辺にいるかもしれない》

 《そうか、奴がついにここに来たのか!》

 《タイガー、お前は奴を知っているのか?》

 《うっ、いや、知らない》

 《みんな恐がって、どこかへ行ってしまったよ。
 タイガー、お前も逃げた方が良い》

 《そうだな。マヌケ、オレは行くけどお前はどうする?》

 《もう少しここにいるよ、からだが、体が動かないんだ》

 《じゃ、気をつけてな。
 どっこいしょっと。
 ツヨソウが、ツヨソウがやられたのか。
 どんなに凄い奴なんだろう。
 でも、これでツヨソウと対決しなくでも済んだのか。
 静かだ、静かだなあ。
 ああ、眠い、今度はゆっくりと眠ろう。
 ここがいい、このウエコミの中が、ちょうど良いや。
 ツヨソウがやられた、ツヨソウはもういないんだ。
 ツヨソウは、、、、》

   ・・・・・・・・・
「キーン、コーン、カーン、キーン、コーン、カーン」
「カア、カア、カア」
「チッ、チッ、チッ」
「カサ、カサ、カサ、カサ」

 《なんだ、うるさいな。
 ネズミか。
 ちょろちょろして目障りな奴だ。
 なんか、むずむずする。
 やったことがないけど捕まえて見るか。
 それ、このやろう、まて、このやろうまて、このやろう、このやろう、まて、このやろう、ふう、なんだ、簡単じゃないか。
 動くな、このやろう、ちっちゃいくせに生意気な奴だ。
 なに言ってんだ、チューチューと、もうあきらめろ、お前なんか食われちまえばいいんだよ》
「ガリ、ガリ、ガリ」

 《ああ、なんていい気持なんだろう、もう、たまんないよ。
 このやろう、もう動かないな。
 食っても良いんだけど、あまり腹も減ってないからな。
 あっ、そうだ、これをあそこのチビに持っていこう。
 さあ、いそげ、いそげ、ハシをわたって、ハシをわたってと、ドーロをわたってと、はしれ、はしれと、まっていろよ、チビ、いま持って行くからな。
 ロジだ、ニンゲンは、ニンゲンはと、いないな、よし走れ、走れ、あっ、ニンゲンだ、よしヘイにあがろう、ヨイショっと、落とさないように気をつけないとな。
 ふん、なんだ、この匂いは。この匂い、この匂いは、あの研究所のゴミ箱の匂いだ。 まさか、やつが、やつが近くにいるのか。
 どこだ、どこだ、だんだん匂いが強くなってくる。
 やばい、奴はいったいどこにいるのだ。
 なんてこった、こんなときに体がひくひくして、あっ、腰がいてえ、でも、そんなこと言ってる場合じゃない。
 どこだ、どこだ、どこに奴はいるんだ。
 見えない、だんだん匂いが強くなってくる。
 もう、だめだ、よし、引き返そう。
 ネズミはごうごうとするドーロから落とせばいい。
 さあ、走れ、走れ、まて、とまれ。
 いったいどんなやつだろう。
 いた、屋根を歩いている。
 あいつか、でかい、なんてでかいんだろう。
 すごい、何ですごい顔なんだろう。
 恐い、おお、恐い、あれじゃいくらツヨソウでもひとたまりもないな。
 良かったあのまま行かなくて。
 そうだ、そのままあっちに行けこっちに来るな。
 これで良いんだ。
 さあ、早くチビのところに落としてやろう。 走れ、はしれ、チビは大丈夫かな、奴に見つかってないだろうな。
 はしれ、はしれ、はしれ、やっとついた。
 いるか、おうい、チビ、おうい、チビ、どうしたんだろう、見えないな、まあ、良いか、落としてやれ、それ、チビ、食べるんだぞ。
 さあてと、とにかくこの辺りから離れないと、いぞげ、いそげ、はしれ、はしれ、もう、だいじょうぶだろうな、ひやあ、危なかったなあ。
 ここはどこだろう? 
 初めてだな。
 静かだなあ、暗くなってきたな、大きなイエだ。
 静かだな、ここも大きなイエだ。
 ここに入ってみるか。
 人間は、ニンゲンはいないな。
 静かだなあ》

 《ねえ、そこでなにしているの?》

 《おっ、びっくりした!
 なんだいたのか、なにって、歩いているんじゃないか》

 《ふあ、変なの、歩くって楽しいの?》

 《お前は変なやつだな。
 そうだこっちに降りてこないか》

 《だめなの、外に出ちゃだめって言われているの》

 《そうかい、そうかい、首になんかつけちゃって》

 《ねえ、こっちにあがってこない》

 《良いのかい、ニンゲンいないかい?》

 《ふあ、いないの》

 《よいしょっと。
 ニンゲンはと。
 いないな。
 あっ、うまそうな魚だ》

 《だめよ手をだしちゃ。
 おこられるから。
 ふあ、お腹すいてるの?
 それならこっちに来て、これを食べて、おいしいよ》

 《どれ、どれ、ふう、お前はいいもの食ってるんだな》

 《ねえ、これ、これ、楽しいよ。
 こうやって飛びつくのよ。
 やってみて》

 《うは、そうだな。
 ふう、お前、なんか、良い匂いしてるな》

 《ふあ、変な匂い》

 《いや、そんなに変な匂いか。
 これはネズミだな》

 《なにネズミって?》

 《ネズミって云うのはだな。
 汚くてちっちゃくて、いつもチョロチョロしていて、見てるとつい追っかけまわして捕まえて、食いたくなるやつのことだよ》

 《ふあ、なんか楽しそう》

 《ほんとに嫌な匂いがするか?》

 《ふあ、でも、なんか力が湧いてきそう》

 《そうかい。うふ、お前はほんとに良い匂いがするな。
 どうれ、、、、》

 《ふあ、やめて、どうしたの、上に乗ったりして、重いわ》

 《あっ、そうかいそうかい。お前はほんとうに外に出たことがないのか

 《ないわ。
 外って楽しいの?》

 《そりゃあ、楽しいさ。
 うふ、お前はほんとうに良い匂いしてるな。
 どれ、どれ、、、、》

 《ふあ、またぁ、やめてよ。
 どうしたの、重いじゃない》

 《ふう、そうかい、そうかい》  

「まあ、たいへん、いったいどこから入ってきたんでしょう。なんて汚い野良猫なんでしょう。うちのミィちゃんになにしようてんの、あなた早くこっちに来て」

「どうしたんだい」

「あれ、見てよ、野良猫よ」

「まて、近づくな。噛まれるかもしれないよ」

「さあ、ミィちゃん、こっちに来るのよ。あんたはさっさと出て行きなさい。えいっ」

「ガシャ」
 《それ、よいしょっと》
「ミィちゃん、恐かったでしょう」
「まだいる。こら、えいっ」
「ビュウ、バサ」

 《はしれ、はしれ。ひゃあ、危なかったな。
 なにもぶっつけることはないだろう。
 いったい何をしたっていうんだい。
 まったくもう、、、、》
「ワン、ワン、ワン」
 《なんだよ、うるさいな、馬鹿イヌが。
 人間といるイヌはみんなバカだ。
 チクショウ、うるさいな、まだ吠えてる。
 ふう、もう良いだろう。
 休もう、暗い家だ、静かだな。
 そうだあそこにあがって休もう。
 よいしょっと、ニンゲンいないな》

「子供たちはどうしたんだ」
「あら、気になるんですか。普段、子供のことなんか話もしないあなたが。あっ、やめてください、お花に触るのは」

「どうして自分の家にあるものに触ってはいけないんだい」

「だって、それは私が買ってきて活けたものですから」

「元をたどれば同じようなものじゃないか、自分の物のような言い方をして」

「やめてくださいってば、お花が嫌がってるじゃないですか」

「お花が嫌がってる、なんて滅茶苦茶な。ところで夕食はどうししたんだ」

「どうしたっ、あら、食べるんですか。私は何にも聞いてませんよ。いつ、食べるって言いましたっけ」

「そんなこと言わなくたってわかってるじゃないか。今頃の時刻になれば夕食だって決まってるじゃないか。どうしたんだ今日に限って」

「あら、そんなこと言ったって、食べるといわないのにどうして作ることが出来ますか。何か私の言ってることが間違っていますか。何か理屈に合わないことを言っていますか」

「そうじゃないけど。今日の君はどうかしてるよ、まったく。君はだんだん母親に似て来たね。その奥歯に物が挟まった言い方をするところなんかそっくりだね。それにおしゃべりが好きなところなんかもね」

「やめてください私の親の悪ロを言うのは。それなら、私にも言わせたいただきますが、あなただってそっくりじゃありませんか。その堅苦しそうで理屈っぽいところなんか、あなたの父親にそっくりじゃありませんか」

「子供たちに見せたいね真の母親の姿を」

「あら。私だって見せたいわ。あなたの真の姿を教え子たちに。大学ではみんなに慕われて人気があるんですってね。実力もあり、将来も嘱望され、さぞや人格者として通っているんでしょうね。でも、家では何にもできないつまらない人なのにねえ」

「もうやめよう。どうしてこんな事になってしまったんだ。まるで僕に対して不満があるみたいじゃないか」
「見たい、みたいじゃないの、あるのよ不満が、はっきりと。あら、いやだ、あなたたしか大学で心理学を教えていらっしゃいましたよね。それなのに妻である私のことが、私がどんな不満を抱いているか判らないなんて、あなたはいったい何の為に心理学を教えたり研究したりしているんですか。それじゃなんの役にも立たないじゃありませんか」

「役に立つとか役に立たないとか、そういう問題じゃないんだ。あくまでも人間の心理を科学的に研究することにあるのであって、、、、」

「あら、それじゃ、何か重大犯罪が起こってから、テレビに出て来てなんかもっともらしいことを言う評論家とちっとも変わらないじゃないですか。そう言えば、あなたもいつかテレビに出ていましたよね。なぜそのような重大事件を防げなかったんでしょうね。後から、あうだこうだと言ってみたって、それじゃなんの役にも立たないじゃないですか。あなたに判りますか、私の今の不満が、心理学者であるあなたに、、、、」
「もう、やめよう。今日の君はどうかしてる」

「あっ、そうそう、それなら、どこがどう変なのか、あれ、精神分析ってあるでしょう、それをやっていただけません」

「それは僕の専門じゃないから判らないなあ」

「へえ、あなたにも判らないことがあるんですか。なんにでも知ったかぶりをしてロを出すあなたにも」

「学問と云うのは素人がロを挟むような安っぽいものではないんだ。もっと奥深くて秩序があって体系的で、君のような感覚的な人間にはわかりっこないよ」

「そうでしょう、そうでしょう。最も身近にいる人間のことなんかちっとも判らないんですからね。結局、学問と云うのは、実際にはなんの役にも立たないという意味なんでしょうね」

「それは、ちょっと言いすぎだよ。役にたっているじゃないか。お前だって人並み以上の生活が出来るのは、私がやっている心理学という学問のおかげじゃないか」

「あなた、あなたに私がこれからやろうとしていることが判ります」

「判りません。私は超能力者じゃありませんから」

「そうでしょうね。わたし、わたしね、あなたのことが嫌いだってことにようやく気が付いたの。それで離婚しようと思っているの」

「なにを言うんだいきなり。子供たちはどうするんだよ」

「子供たち、あら、あなた、子供を抱いたことありましたっけ」

「あるよ、あるさ、そうそう生まれたときに、、、、」

「そのときだけよね。私はあなたがほんとうは冷たい人間のような気がするわ。あなたは家にいるときもテレビに出ているときも同じ様に話をする人なのね」

「なにを訳の判らないこと言ってんだ。君と違ってね。僕にはやることがいっぱいあるんだよ。色んな学会やシンポジウムに出たり、論文や報告書を書いたり、とにかく忙しいんだよ」

「そうかしら。あなたはあれね。あなたにとっての愛情というものは、すべて一度あなたの頭の中を通って言葉に翻訳されてから出てくるのね」

「訳の判らないことごちゃごちゃ煩いんだよ。君はあれだね、昔、本でこんな事を読んだことかあるけど、ほんとうだね。女には子供とムチが必要だってね」

「あら、それでどうするつもり、わたしをぶつつもり、やって見なさいよ」

「なにをバカな、、、、どんなものでも、暴力と名のつくものはすべて否定してきた僕にそんなことが出来る訳ないじゃないか」

「そうなの、そうなのよ。あなたはそうやってすべての暴力を否定してきた。でも、いつのまにかその暴力と同時に感情までも否定するようになったのよ。わたしにはそれが絶えられないのよ。あなたはなんか勘違いしている。心理学はたしかに学問かもしれない、でも心は違う、心は生き物なの、、、、」

 
 《なんか落ちつかないところだなあ。
 他に行こう。
 よいしょっと。
 静かだなあ。
 ここはどこだろう? みんな居ないな、どこへ行ったんだろう?
 あれ、ここは見たことがあるぞ。
 なんだコウエンじゃないか。
 やっぱりコウエンは良いなあ。
 あっ、ニンゲンがいる、なにやってんだ?》
「ペッタ、ペッタ、ペッタ、ペッタ」

「ああ、もう、倒れそう」

「ねえ、おかあさん、これで何周目?」

「五周目かしら」

「やっぱり無理よ。ああ、情けない、普段はあんなに威張ってるくせに」

「ねえ、一周ってどのくらいあるの?」

「三百メートルぐらいかしら」

「それを一分間で走るんでしょう」

「今はどのくらいかかったの?」

「ええと、七十秒かな」

「ねえ、おかあさん、おとうさんに何があったの?」

「なんか、最近仕事がね、うまく行ってなかったみたいだから、むしゃくしゃしてたんじゃない」

「びっくりだよね。おとうさんがジョギングをやるなんて、あんなことしたってなんの役にも立たないってバカにしてたのにね」

「でも、なんで私たちまで付き合わなくてはいけないの、テレビ見ていたいのに」

「昼間走れば良いじゃん」

「恥ずかしいんじゃない、知ってる人に見られるの」

「最初から無理だってわかっているのに、おかあさんなぜ反対しなかったの?」

「だってお父さんは何でも自分ひとりで決めてやる人じゃない」

「それなら自分ひとりで走れば良いのに」

「お父さんはね、ほんとうは怖いのよ。最近この公園で色んなことがあったでしょう」

「もうやめて帰ろうよ」

「来たわよ、今度はどのくらいかかっている?」

「さっきと変わんない」

「ねえ、ユウトにマミ、みんなで応援しようよ。お父さん、がんばって」

「がんばれ、がんばれ、おとうさん」

「それを言うなよ、がんばっているのに、がんばってないみたいじゃないか」

「ずっと、一分以上かかっているよ」

「わかってる」

「がんばれ、がんばれ」

「もう、うるさい」

「あいかわらずね」

「もしかしたら、お父さん照れてんじゃないの」

「出来ないならやめたほうか良いのに」

「それが出来ればね。お父さんは一度決めたことは最後までやる人だから。よく言えば真面目、悪く言えば頑固なのよ」

「お父さん、年取ったわ、きっと頑固ジジイになるんだろうね」

「生まれつきの職人だから」

「ショクニンって?」

「職人って云うのは、仕事しているときが一番幸せな人たちのことよ」

「じゃ、おかあさんは何をしているときが一番幸せなの」

「おかあさん、おかあさんはご飯を食べているときかしらね」

「だから、こんなにデブなんだ」

「言ったわね」

「ねえ、おかあさんも一緒に走ったら」

「わたし、わたしはいやよ。もったいないじゃない、せっかく貯め込んだのに」

「あっ、来たわよ、どうタイムは」

「なんか、おかしい、さっきより早くなっている」

「お父さん、がんばって、がんばって」

「今度は何も言わなかったね」

「そうだね、おこりん棒のお父さんらしくないわね」

「ねえ、なんとなく元気が出てきたような感じがしない」

 《みんないないなあ、どこへ行ったんだろう。
 静かだなあ。
 また暗くなってきた。
 ニンゲンいないな、あそこのベンチの下で眠ろう。
 みんなどこへ行ったんだろう、、、、マヌケにカタミミ、、、、ウレイにクロトラ、、、、チビどもに、コワソウに、ツヨソウ、、、、ツヨソウはやられたか、、、、カワイイ、カワイイの脚を切ったのは、、、、どうしたんだろう? 
なんか変だな、なんかあったのかな、体がおかしい。
 あっ、空が光っている。
 なんだろう?
 なんだろう?
 木がなんか変だ。
 何か聞こえる。
なんだろう? なんだろう?》
「タイガーじゃないか、どうした、そんなに毛を逆立てて、怒っているのか、いや違うな、まさか、もしかしたら、やっぱりそうか、そうだったのか、お前は他のネコと違うと思っていたが、やっぱりそうだったのか。お前には判るんだな、いや感じるんだな。何かおかしいって。そうなんだよ。これは地震が来る前触れなんだよ。大地震がこの町にやって来るんだよ。ワシはお前と同じ様に感じるんだよ。何十年も大地に寝そべっているからな、どんな地震が来るかって判るようになったんだよ。でも、誰も信じてくれないけどな。いや、なあに心配するな、お前たちはそのときになったら木にでも登ればいいんだよ。大変なのはニンゲンさ壊れるものをせっせと作り続けてきたニンゲンさ。ニンゲンは壊れるものが壊れると都合が悪いみたいなんだ。なあ、そこでだ、ワシは町に出て行って、みんなに知らせるつもりなんだ。大地震がやってくるぞってな。まあ、でも、いまは夜明け前だ、まだニンゲンは寝ている。その前に少し話しでもして時間をつぶそうと思うんだ。タイガー、さあ、こっちに来いよ。まあ、すっかり体がこわばちゃって、恐いのか不安なのか、でも、もう、だいじょうぶさ。お前なんて不思議な目をしているんだろう。単純で空っぽな人間の眼よりも色んなものが詰まっている。そうだよな、色んなことがあるかにな苦しいんだろうな、寂しいんだろうな。なあ、タイガー、ニンゲンはもうだめだ。人間はもう変われない。なぜなら人間は何か問題がおきるとすぐ頭を使って解決しようとするからさ。でも、お前たちは変われるぞ、良いか、困ったことや危険な目にあったら、みんなで必死に思うんだ、全身で思うんだ。大きな牙がほしい、大きな牙がほしいって、速く走りたい馬のように早く走りたいって、そうすればライオンや本物のトラように強くなれるぞ。もうだいぶ楽になってきたみたいだな。タイガー、お前だけだよ、ワシの言うことを判ったような顔をして聞いてくれるのは。でも、ほんとうはどうなんだ。まっ、良いか。昨日は結局誰もワシの言うことを信じて入れなかったよ。まあ、慣れてるから平気だけどさ、最もワシだって、本気で判ってもらおうとは思ってなかったけどな。タイガー、ワシは若いときたくさんのニンゲンを殺したんだよ。おや、ちょっと驚いたかな。五十年前、日本はアジアに新しい世界をつくろうとしていたんだよ。理想郷のような世界をね。そこでワシもそれに貢献できるならと思って、はるばる海を渡って隣の国へ行ったんだよ。そしてそこでたくさんのニンゲンを殺したんだよ。いや、それだけじゃないんだ、、、、日本に帰ってきてから、ワシはこの世で最も愛しているものを、、、、この世で最もワシを信頼してくれるものを、そうワシの唯一の生きがいである妻と幼い息子を殺したんだよ。恐いか、タイガー、そうでもない、どうして、まっ、良いか。ところがだ、なぜか誰もワシの言うことを取り合っていくれないんだよ。みんな狂人扱いしてさ。そうだ、タイガー、良い物を見せてやろう、ワシの若いときの写真じゃ。たった一枚しか残っていないワシの写真じゃ。これがワシだ。なんて端正な顔立ちをしているんだろう。これじゃ今は見る影もない。このワシと同じ人物だなんて、誰も思わないだろうな。周りにいるのがワシの同僚じゃ。この帽子をかぶっている人たちはだな、そうだな、勇者といってな、ワシが若いときに二番目になりたかった職業なんだよ。ユウシャ、勇者と云うのはだな、祖国のため家族のため、そして自分の名誉と誇りの為に、死をも恐れず勇敢に戦う人たちの事を言うんだよ。どうだ、みんな格好良いだろう、凛々しい顔をしているだろう。なにせ、みんな夢を抱き、遠くを未来を見つめているからな。わしだって夢を抱いていたさ、いやワシだけではない、日本中が熱狂的に夢見ていたんじゃよ。なあ、タイガーよ、ワシは物心ついたときから、三つ年上の兄と一緒にな、医者をやっている父や叔父から、人間の生命を救うことが最も尊いことだと教えられて育っていたんじゃ。そこでワシらは父のような有名な医者になることを目指して、小さい頃から勉強に励んでいたんじゃよ。幸いにも、わしらの家は周囲の家よりははるかに裕福であった所為か、友人たちよりは恵まれた環境で勉強することが出来、成績のことで両親を心配させるようなことはなかったね。それは両親が期待していたことでもあり、またワシもその期待に応えることが、親孝行となり、ひいては家の為になると思っていたからなんだろうけど、とくにワシは兄より幾分大人しく真面目であった所為か、大学を卒業するまでずっと優秀な成績を収めることが出来たんじゃよ。そしてひと通り医学の勉強が済んだ後、さて、ではどの道に進むかと云うことになって、ワシは研究者の道を選んだのじゃよ。なぜかって、それはな、すでに兄が医者になっていて、家を継ぐことが決まっていたし、ワシには研究者の方があっていると思ったからじゃよ。そのほうが医学の発展、ひいてはニンゲンの幸福により多く貢献できると思ったからなんじゃよ。学業の成績から見てもワシにはその能力があると思っていたし、周りね人たちもその事を大賛成してくれたからね。そしてわしは研究生活に入ってのじゃ。地味ではあったが、選ばれたもののような誇りと自身を感じながら、充実した日々が始まったんじゃ。そんなあるとき、ワシは、海を渡った隣の国で研究をやってみないかと声を掛けられたんじゃ。そこでは豊富な研究費と最先端の施設のもとで、やりたい事を自由にのびのびと研究できるということじゃった。なあ、タイガーよ、ワシら研究者にとっての最大の目標は、まあ、それが同時に生きがいでも喜びでもあるんだが、まずは一刻も早く研究に成果をあげることなんじゃよ。つまり、人に先んじて病気の原因や新しい薬や治療方法を発見することにあるんじゃよ。まあ、はっきりいってしまうと名声を得ることかな。だからその話はワシにとってはまさに渡りに船じゃったよ。当時、日本はだな、アジアで最もすすだ文明国としてな、あらゆる面で西洋に対抗できる唯一の国としてな、他のアジアの国々の発展と平和の為に、その中心となって積極的に貢献しようとしていたんだよ。まず日本はだな、アジアに西洋に対抗しえる文明圏を建設しようとして夢と希望に満ちあふれていたんだよ。そんなときにワシが、最新の医学を身につけたこのワシが、あまり進んでいない隣の国に行って研究をやるということは、つまり、みんなの先頭に立って指導的な立場でやらなければならないということでもあり、ひいてはそれは新しい理想社会の建設に医学を通して貢献できるということでもあるんだよな。だからワシはどんなに夢が膨らんだことか。そしてワシは、夢の実現を信じ、魂が打ち震えるような使命感を抱きながら海を渡り隣の国へ行き研究に取り掛かったのじゃよ。色んな研究がおこなわれた。様々な実験がおこなわれた。動物を使ったりニンゲンを使ったりしてな。そこでの毎日は日本に居たときとそれほど変わらなかったな。それはワシが、医学の発展が人類の幸福につながると云うことを心から信じて、わき目も降らずに研究に没頭できたからなんだろうけど、とにかく一刻も速く目に見えた成果をあげることが研究者としての責務だったからね。なにしろ研究費も研究施設も申し分なかったから根、期待に添えないと悪いじゃないですか。そんな中で酒好きの同僚が酔っ払ってよくこんなことをいうのを耳にした。それは実験にされる人間についてだった。奴らはニンゲンじゃない、奴らは犯罪者なのだ、生きていたってしょうがない連中なのだ、これで世の中から悪いやつがいなくなって良いじゃないかってな。ワシは酒を飲まなかった所為か彼らの気持がよく判らなかったので、これといって賛成することも反対することもなかった。当時、ワシが正直に感じたことは、実験用として送られてくる人間は皆汚くて、みすぼらしくて、生きる気力を失ったようなニンゲンばかりだった。たまに獣のように暴れ出す元気なものもいたが、たいていは大人しく従順だった。そのあまりの従順さは、もしかしたら彼らは自ら進んで積極的に実験に協力しているのではないかと思われるほどだった。それだからワシにとっては実験は順調だった。ワシはいつも冷静だった。それは、おそらくワシが普段から科学者というものはどんなことがあっても、理性的で客観的でなければいけないと自分に言い聞かせていたからではないかと思うんだな。そのことは科学者には最も必要なことなんだよな。だからさワシに取っては、新しく彼らを迎えることは新しい試験管を手にするときと同じ様な気持だったし、彼らと別れるときは壊れた試験管を捨てるときと同じ様な気持ちだったんだよな。とにかく実験しているときの気持って云うのは、日本にいるときとそれほど変わらなかったな。そのことは他の研究員にもいえるみたいだったな。実験の最中はみんな真剣で気難しそうな顔をしているが、いったんその場を離れると朗らかで、たわいもない冗談を言い合ったり、お互いの家族の話をしたり、なかには懐かしさのあまり家族からの手紙に人目もはばからずに涙を流したり、それをわざわざ他の人に聞こえるような声で読んだりするものがいたりして、みんなそれなりに日本人であることに満足しているみたいだった。たまにではあったが映画を見たり春には花見をやったことなんかほんとうに楽しい思い出として残っているくらいだ、、、、ニンゲンがたくさん死んでいるというのに、、、、ニンゲンが何にもいわずにたくさん死んでいるというのに、、、、もしかしたわワシは、、、、動く歯車のように一生懸命誠実にひたむきにたくさんのニンゲンを殺した最初の人ではないだろうか、、、、恨みや憎しみからではなく、ましてや自分の生命を守るためでもなく、まるで機械の故障を見つけるかのように冷静に理性的にたくさんのニンゲンを殺した最初の人ではないだろうか、、、、いつのまにか戦争に負けてそこを離れるとき、ワシらは言われたんじゃ、ここであったことは決して人に言ってはならない、すべて忘れろって。そして日本に帰ってきた。その頃日本は自分が生きるだけで精一杯で、だから、そこであった事を人に話すどころか思い出しもしなかった。まあ、ほとんだ忘れてしまったと言っても良いくらいだった。そしてワシは再び研究生活を始めた。そうなんだよ、タイガー、ワシはあそこのケンキュウジョに勤めていたんだよ。生活が落ちついた頃ワシは見合い結婚をした。若くて美しい女性だった。その上やさしくて献身的で、しかも賢くて教養もあり、こんな女性がまだ日本にいたのかと思うような天女のように素晴らしい女性だった。最初わしは直感的に自分にはなぜかもったいないような気がしたのを覚えている。そして人がうらやむような新婚生活が始まった。まもなく息子が生まれた。とにかく元気な太陽のような笑顔の子供だった。始めてこの両手で抱き上げたとき、地の底から沸き起こってくるような生命のほとばしりを感じた。そしてわしは生きる喜びを感じ始めた。妻も息子もワシの事を心から信じ頼りにしてくれていた。ワシは生まれて初めて幸せと言うものを実感しいた。妻と息子のことを思うと自然と顔に笑みが浮かんでくるような毎日だった。ワシは自分が神様か何かから選ばれて祝福されているような気がしていた。そんなあるとき、妻と息子が悪い風にかかった。ワシは、、、、ワシ、、、、ああ、今でもあのときの気持が思い出せない。なぜ、なぜ、あんなことをしてしまったのか、、、、判らないんだ。でも、わしがやったことははっきりと覚えている。ワシは、ひそかに研究所から持ち出した毒薬を、良く効く薬だといって二人に飲ませ殺した。愛して、愛して、愛してやまなかった妻と息子をワシは殺した。わしに生きる喜びを与えてくれた妻と息子をワシは殺した。ワシは警察に行って、何があったかをすべて正直に話した。ところが、ところがだ、タイガー、なぜか警察はワシの言うことを聞いてくれないんだよ。それは事故だというんだ、自分の不注意で妻子を死なせた罪の意識からそんなことを言うんだろうって言うんだよ。日頃から、あなた方家族を見ている近所の人たちは皆そんなことはありえないって、あんなに仲むつまじい夫婦に、あんなに幸せそうな親子にそんなこと起こる訳ないって言ってるって、ぜんぜん取り合ってくれないんだよ。挙句の果てになんて言ったか、こうだぞ、愛する妻子を突然失ったんで、その悲しみのあまり少し精神に変調をきたしたんじゃないかって、そんなことはない、絶対になかった。わしは帰るところを失ってしまった。なぜなら、ワシを狂人扱いにするところには戻ることは出来ないからだ。生きる気力もなくなってしまったワシは死んでも良かったのだ。でも、なぜか死ぬ理由が見つからなかった。ほんとうは何にも考えることが出来なくなっていたんだろうけどな。ワシはどこをどう歩いたか判らないくらい歩いて歩いて、さまよった。そしてワシはなるがままに任せることにした。喉か乾こうが腹が減ろうが何もしないことにした。それで死ぬならそれでも良いと思った。何日か経ってのどの渇きも空腹もあまり感じなくなって意識が朦朧としていたとき、雨が降ってきた。雨は頬を伝わりロに流れてきた。わしはそれを飲んだ。自分の意識とは関係なくロや喉が自然と動く感じだった。わしはそのまま飲み続けた。さぞやうまかったんだろうな。それでもワシは自分で何かを探して空腹を満たそうとは思わなかった。それから何日かして体が思うように動かなくなってきたとき、通りかかった見知らぬおばあさんがワシにおにぎりをくれた。ワシはよっぽどものほしそうな顔をしていたんだろうか、とにかく必死に食べるように薦めた。ワシは手を伸ばしてそれを受け取るとさっそく食べ始めた。ワシは無意識のように何も考えずに食べ続けた。今でもそれがとのようにうまかったか思い出せないくらいなんだからな。その日からわしは成り行きに任せて生きることにしたんじゃよ。水があれば飲むし、食べるものがあれば食べるし、道があれば歩きたいだけどこまでも歩いていくし、人の邪魔さえならなければどこにでも寝るといったぐあいにな。なあ、タイガーよ、あれからもう五十年にもなるんだな。よく死ななかったもんだ。なぜだろう。ワシみたいな役立たずが、病気さえしなかったもんな、不思議なもんだ。見ろ、ようやく夜が明けてきた。雲が流れているな、風が吹いてきた。雨が降るのかな、でも、そんなことは関係ない。さあ、これから町に出でみんなに知らせなくては。大地震だ、大地震がくるぞって叫びながら走り回るんだ。きっとみんなは見向きもしないだろうな。それでも言い、力尽きて倒れるまで走って走って走り回るんだ。さあ、行くぞ、タイガー、お前にはもう会うことはないだろうな、元気でな、良いか決してうろたえるなに、地震が来たらとにかく人がいるところから離れろ良いな。そうすれば助かるからな。タイガー、それから、もしこれから威張り腐った奴に会ったら決してひるむな、戦え、全力で戦え、そうすればいつか必ず勝てるようになる。それから、もしこれから何か食い物に困ったら、盗め、ニンゲンから盗んで食べろ、決して遠慮するな。タイガー、とにかく生き延びるために戦え、盗め、奪え、そして化けろ、、、、」

 《ああ、行っちゃった。
 これからどうすればいいんだろう。
 みんないないな、眠ろうか。
 揺れている、揺れている、キがゆれている、カゼなのか。
 おっ、冷たい、なんだアメか。
 チビは、、、、そうだ、あのチビのところへ行こう。
 どうしているかな、ちゃんと食べたかな。
 揺れてる、揺れてるこれはカゼなんだ。
 みんなどこへ行ったんだろう。
 こっちに行けばいいんだな》
「居たわね、やっと見つけたわ。さあ、良い子だからこっちにいらっしゃい。食べるものあるわよ。ねえ、他のみんなはどうしたの」
 《おっ、この間のクソババアだ》
「どうしたのよ、いつものように食べなさいよ。あら、いやだっていうの、まったくお前たちはわがままなんだから。こら待ちなさいってば、恩知らず。今度見つけたらただじゃおかないからね」

 
 《さあ、はしれ、逃げろ。
 どうしたんだろう、急に。
 怒り出して、恐いな。
 変なクソババアだ。
 そんなに食いたくはないって言うのに。
 はしれ、はしれ。
 たしか、こっちだったな、はしれ、はしれ。
 ドーロだ、クルマは、クルマは、さあ、いまだ、わたろう。
 はしれ、はしれ、はしれ、こっちに行けば、たしか、、、、あった、あった。
 いるかな、いるかな、ヘイをわたってと、カゼが強いな、よし、ここから降りよう、よいしょっと、チビ、チビ、いるか、チビ、チビ、どうした、いないのか、タイガーだ、どこにいるんだ。
 なんだ、居るじゃない。
 こんなところに隠れるようにして。
 どうしたネズミ食ったか?》
 《ネ、ズ、ミ、って?》

 《いやなんでもない、どうだい、腹減ってないか?》

 《あんまり食べたくないの、お腹が痛くって》

 《そうか、そうか。
 どうしよう、どうやって、チビをここからだそうか。
 あっちのイシガキはむりだしな。
 こっちのヘイはチビには高すぎるしな。
 おい、チビ、歩けるか?》

 《あんまり歩きたくない、でも、なんとか歩いてみるよ》

 《よろよろだな。
 どうだいチビ、ここを出て、セカイに行かないか》

 《なあに、セカイって?》

 《セカイって云うのはだな、いろんな奴がいてな、とにかく、、、そうだナカマがいるぞ》

 《なあに、ナカマって?》

 《ナカマって云うのはだな、チビ、とか、タイガーとか言って寄って来てな、こうやって触ったり触れたりする奴らのことだよ》
 
 《ふっ、なんだ、あんまり会いたくないな》

 《そうか、そうなのか、あんまり会いたくないか。
 どうすりゃあいいんだよ。
 ちくしょう、あんなものを作りやがってさ。
 みんなニンゲンが悪いんだ。
 ニンゲンはだめだ》

 《なあに、ニンゲンって?》

 《ニンゲンって云うのはだな、いやな奴、だめな奴のことなんだよ。
 なんにも出来ないくせにさ、いつも威張りくさっている奴らのことなんだよ》

 《タイガーより強いの?》
 
 《いや、強くない、強くない》

 《だったら、やっつけちゃえば良いのに》

 《そうだな、たいしたことないからな。
 まあ、やっつけるのはいつでも良いんだ》

 《なあに、あれは?》

 《あれ、あれは、カゼっていうんだ、ソラにあるんだ》

 《なあに、ソラって?》

 《うっ、ソラって云うのはだな、こうやって、こうやって、そうだ。
 こっちのほう、こっちのほうのことだよ。
 おい、チビ、今なんか当たっただろう、冷たいのが、それはアメって言うんだ、ソラから落ちていたんだ》

 《アメ、アメって言うんだ、当たっても痛くないんだね。
 ちょっと冷たいけど。
 音がしないから痛くないのかなあ》

 《そうだね、当たっても痛くないんだね。
 そうだ、チビ、イシがいっぱいあるここにあがろう。
 ここにあがればきっとカゼがあるぞ。
 だいじょうぶか、歩けるか?》

 《なんとかやってみる》

 《ゆっくり、ゆっくり気をつけてあがれ、もう少しだ。
 もう少しで一番高いところだ》

 《よいしょ、よいしょ。わあ、これがカゼなの、気持良いなあ。
 なんかとっても元気が出てくるみたい、ねえ、セカイってもっと気持良いの?》

 《うっ、うん、そうだな、いろんなことがあるからな、、、、チビは、ユウシャみたいだな》

 《なあに、ユウシャって?》

 《ユウシャって云うのはだな、チビみたいに、がんばって、がんばって歩く強い奴のことを言うんだよ》

 《わあ、そうなんだ。
 でも、もう降りないと、なんかとても疲れた》
 
 《チビ、なんか食べるか?》

 《いらない、もう、なんにも食べたくない》

 《そうか、そうか。
 どうやってチビをここからだそうか。
 チビ、生きたいか?》

 《なあに、イキタイって》

 《イキタイって云うのはだな。
 そうだな、イキル、イキヨウとするこ、、、、

 チビ、チビ、どうしたんだ、どうして頭を下げてんだ、、、、

 動かない、動かない、チビは動かない、いったいどうしたんだ。
 なんにも感じない、なんにも感じない、、、、
 もういい、もういい、、、、
 ここから出よう、ここからでよう、、、、
 もういやだ、もういやだ、、、、
 どこかに行こう、どこかに行こう、、、、》