そうなのよね。きっとそうなのよ。
私って決して怠け者じゃないのよね。
決して仕事が嫌なわけじゃないのよね。
仕事をするなら、私の意欲や責任感が必要とされるような、やりがいのある良い仕事をしたいと思っているだけなのよね。
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やっぱり専業主婦
はだい悠
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ふう、やっと洗濯と掃除が終わった。
外は凄く天気が良い、まるでナイフの光沢のように輝いている。
ちょっと休もう。
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はあ、私にはやっぱり専業主婦が似合っている。
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今日も、気がついたら、水道の水を流れるままにじっと見ていたっけ。
たしか昨日は、ガスの炎をじっと見ていたっけ。
どうしてかしら?
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今朝、夫が、
「里奈の幼稚園の放火犯、どうして捕まらないんだろう? なんかトラブルでもあったんだろうけど」
って言ったとき、私は、
「早く捕まるといいのにね」
なんて、妙に冷静さを装いなが答えたっけ。
ちょっと心が曇ったからね。
それで、夫がいつも独り言のように言う、
「どんなに嫌なことがあっても家庭に笑い声があれば頑張れるんだよな」
と言った後に、さらに続けて、
「きっと放火犯の周りには、笑顔で励ましてくれるような人はいなかったんだろうな」
と言ったのを、私は上の空で聞いていたっけ。
急に何かに追い詰められたような不安を感じたから。
なぜかしら?
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私は心が曇ると、いつも気が滅入り何にもやりたくなくなる。
家事や子供のことも、そして自分のことも。
だから母親失格、主婦失格、いや、社会人失格かも。
私は本当はパートなんかしたくない。
出来るならずっと専業主婦でいたい。
今の夫の給料だけでやって行けない訳ではないんだから。
でも、お金はいっぱいあるに越したことはない。
マイホームも欲しいし、人並みに贅沢もしたい、それから、家族の為に頑張る真面目な夫を、少しは助けたい気持ちもある。
運送会社で真面目に働く夫は、不規則な勤務にもかかわらず、頑張りしすぎて、ときおり熱を出して寝込んだりするときがあるぐらいだから。
それで、私は夫の前ではパート仕事は嫌だなんて決して言わないし顔にも出さない。
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たぶん夫は、私が喜んでパートをやっていると思っているだろう。
というのも、数ヶ月ぐらいで仕事先を替えるその理由を、リストラとか、経営不振で倒産とかって言っては、そのたびに次から次へと新しいパート先を見つけ出してきては仕事を続けていたんだから。
それもないこともないんだけど、でも本当は違う。
なぜなら、倒産しそうな職場で最後まで居たくない、なんかたまらなく寂しいのだから。
それで、実際はほとんどが、私がなんとなく精神的に行き詰まって自分からやめているのだ。
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私は普段は他人と挨拶したり話をしたりするときは、笑顔を心がけている。
意外と好き嫌いが激しいにも関わらずだ。
つまり、ちょっと無理をしているってことね。
だから周囲の人は、私を暗い人間だとは思っていないだろう。
夫でさえも。
でもそれは全然違う。
その所為か、わたしは他人とのちょっとした行き違いや誤解が生じたりすると、すぐ心にしこりが残る。
それがいつ頃からなのかはハッキリしないが。
やがて心のしこりは心の曇りとなって残るようになり、そしてそれは、しばらく続く気持ちの落ち込みにつながって行く。
たぶんこれは私の生来の性格的なものなんだろうけど。
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他人との行き違いや誤解とはいってもほとんどが仕事上のもの。
私はそのことを夫には決して言わない。
夫婦で隠し事はしないようにしようと思っているが、でもなぜなんだろう、どうしても言えない。
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この前、私がパート先を替えたのは、私が精神的に持ちこたえられなくなったからだったのよね。
その原因はたいしたことでもなかったのに。
いつものように心のしこりが心の曇りへと変化して行き、なんとなく毎日が暗く気がふさぐようになり、次第に仕事への意欲をなくしてしまったのよね。
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たしか、あの店は野菜と花の家庭園芸の専門店だった。
春から夏にかけては賑わったが、秋から冬にかけてはサッパリだった。
だからときどきパートを休まされたこともあった。
そんなとき、
「きっと町外れにあるかに流行らないんだ」
とか、
「経営は大丈夫なんだろうか」
などとネガティブな気持ちになることもあったが、
「でも、それも自分の所為ではないんだ」
なんて自分に言い聞かせては、気持ちを持ち直してなんとか働き続けることができたのね。
でも、そんなある日のことだった。
お客が買った品物が欠陥商品だといって交換しにやってきたのね。
部品が一個足りなかったということで。
新しいものと交換すると、そのお客は帰って行った。
でも、それから暫らくのあいだ、私はとても沈んだ気持ちになったままだったっけ。
なぜって、そのことを私は上司に報告したが、上司はそれを適切に処理したようには見えなかったから。
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つまり、こういうことね。
その商品はわずか千円の商品ではある、でも欠陥商品である限りはそれを売ることは出来ない。
だから千円の損失ということになる。
千円といえば私の時給よりずっと高い。
そこで私は、
「これではいつまでたっても経営は改善しない、経営が改善しなければ、私がどんなに店のためにと頑張ろうが、おそらく報われることはない」
と思っては、なんとなく将来に希望が持てないと予感したのよね。
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本来ならパート従業員である私がそんな経営のことまで心配する必要ないんでしょうが、どうしても気になったのよね。
それはたぶん私が、たとえそれがどんな仕事であっても、そこに生きがいや喜びとなるような働き甲斐や達成感を、いつも求めていて、そのためには仕事に対しても、それ相当の責任感を持って望まなければならないと、日頃から思っていたからなのよね。
そうなると当然のように私は、いつの日か私のそんな真面目な働きぶりが認められて、責任ある立場に登用されるに違いなく、ということは、私は色んなトラブルに対して適切な処理をしたり、店をはやらせて利益を上げるために、それまで以上の努力することは間違いないからね。
と言うよりも、仕事に生きがいや喜びを見出そうとする私は絶対に確実にそうするだろうね。
そして結局は、今よりも何倍も頑張るんだろうけどね。
でも、その店の場合は、いくら私が頑張ってみたところで、立地条件が悪すぎてどうみても流行りそうではないのだから。
つまりその店には将来性どころか、私の時給が上がるという見通しもないんだから、そこに私が求める生きがいや喜びを見い出すことは、ほとんど絶望的と思ったからだったのよね。
そして私は、
「こんな安い給料で嫌な思いをしてまで仕事を続ける必要はないんだ、なにも、生活にはそれほど困っている訳でもないんだから」
なんてすぐネガティブに考えてしまって、その結果、それほど後先を考えずに退職届けをを出してしまったんだっけ。
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その前にもこんなことがあったっけ。
スーパーの精肉惣菜係りで働いたときだった。
上司に当たる係りの責任者は、前の日に売れ残ったものを、その日に作る物に混ぜて製品にしていたっけ。
初めは仕事の内容もよく判らなかったので何の疑問もわかなかったんだけど、仕事に慣れてくるにしたがって、なんか変だなさ思うようになったのよね。
でも、上司がやっていることだから、それに一日すぎたぐらいなら食中毒を起こすほど悪くはならないだろうと軽く考え、それほど気にはならなかったのよね。
しかし、時がたって、ある程度仕事が任せられるようになると、少しづつ嫌な気持ちになってきたのよね。
やっぱり嘘の表示をして消費者を騙しているように思うようになったから。
そして、これでは責任ある仕事をしているとおもえなくなってきたのよね。
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どんな仕事でも続けていくためには、その仕事に対する責任感が本当に必要である。
それが働き甲斐となり、生活に張り合いや充実感が生まれることは確実だからだ。
でも、あれでは責任感は育まれない。
そこで私は、もし私がもっと仕事が出来るようになって、いつか責任者になったら、はたして製造年月日の偽装をやめるように、同僚たちに指示することは出来るだろうか、たぶん出来ないだろう。
そうなると責任どころか、やりがいのない仕事となってしまうだろう。
そしていつかその偽装がバレれば、私は社会から激しく非難されるようになるだろうなんて、なんとなく考え込むようになっていって、だんだん気持ちが沈むようになっていったのよね。
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そういえば他にも、こんなことがあった。
餃子の具を機械で練りこんでいるとき、どう見ても具材とは違う白く光るアズキ大のものを眼にとめた。
でも私は、なぜかそのままにしてしまった。そして私の心は真っ暗に曇り、そこで色んなことを考えたっけ。
ビニールかナイロンの切れ端なら文句が来るぐらいだろう。
前の日の売れ残りを混ぜることと、それほど有害ではない異物の混入することとでは、果たしてどちらが悪質なことだろう。
でも、もしあれがガラスの破片だったら大変なことになるだろう。
だが、気が付きませんでしたと嘘をいえば済むことだし、ガラスでない可能性だってある。
それに最終的には私の責任ではないのだから。
なんてね。
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それにこんなこともあったっけ。
具を混ぜ込んでいるときにハエのような黒い物を目にしたのだ。
でも私はそのままにしておいた。
なんとなく投げやりな気持ちで、ハエぐらいそんなに有害ではないと思いながら。
みんなそんなに簡単に割り切れる問題ではなかったのに。
でも、その後の私は、それらの事が、いつかばれたらどうしようかと、ずっとびくびくしていたことは確かだ。
そしてわたしはそんな恐れの気持ちから不安な気持ちに変わっていったっけ。
結局私はこの不安から抜け出すにはその仕事をやめるしかなかったのだ。
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それからこんなこともあったっけ。
市立図書館で、貸し出し係として臨時採用されたときだった。
あるとき利用者にその期限切れの利用カードの更新のために、本人の身分証明書の提示を求めたが、もっていなかったので、再発行は出来ないと告げたが、その利用者は、身分証明書はなくても、住所や生年月日をいうことができれば、本人であることが証明出来るはずだと言って、今直ぐに再発行することを要求した。
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私は困ったっけ。
これは規則ですからと言っても、利用者は納得しなかったっけ。
顔は不機嫌になり言い方も刺々しいものになって行ったっけ。
私は、その利用者の言い分が理解出来なかった訳でもなかったが、規則は規則なのでそれを受け入れることは出来なかった。
その利用者も自分の主張は譲らなかった。
私は誠意を込めて笑顔で説得に当たったんだけど、利用者はどうしても納得してくれなかった。
それどころかだんだんと苛立ちの表情を浮かべるようになり、言い方かなりきついものに変っていったっけ。
その言葉は針のように突き刺さったっけ。
どんなに誠意を尽くして笑顔で応対しても利用者に不快な思いをさせたと言うことは、とてもショックだったっけ。
そのときの気持ちは、その無力感からに違いないが、私の心は重く曇り恐怖さえ感じるくらいだった。
結局私は、そのことを上司に報告しそのトラブルの解決をゆだねたっけ。
でも、その後も決して心の曇りが晴れることはなかったっけ。
私の応対に問題があった訳でもなければ、私ひとりだけの力ではどうにもならない問題だと思っても、落ち込んだ気持ちからなかなか抜け出すことは出来なかったっけ。
考えれば考えるほど利用者の言い分はもっともだし、私だって決して間違った応対はしていなかったと思うからである。
本来なら、このようなトラブルが今後おきないように改善策や対応策を提案して、気持ちよく働ける職場環境するために、上の方に積極的に働きかけるべきなのだろうが、聞いてくれそうにない雰囲気を思うと、なんとなく面倒臭さが先に立って、わずかに残っている私の気力を奮い立たせるようなことは、とても出来なかったのね。
それで私はいつものように、気が滅入るようなことあったら、その原因から遠ざかることで、解決するという方法を選んだのだっけ。
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今日、里奈を迎えに行くときは、保育士さんとはなるべく話さないようにしよう、笑顔で挨拶するだけにしよう。
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いったいいつから、私はこんな消極的な性格になってしまったんだろう。
私は子供の頃から、なにか変わったところがあってイジメられたわけでもなく、特別に目立つわけでもなく、ごく普通で平凡だったのに。
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たぶん、きっとあのときからだ。
私は商業高校を卒業すると書店に勤めたんだ。
あそこは文教地区でしかも駅前にあったので、いつも忙しいほどだった。
あれは確か夕方、最も忙しいとき、あの女子高生は英語の辞書を買いに来た。
レジのテーブルの上にその辞書が置かれたとき、私は少し胸騒ぎを覚えたんだ、それで私は書札をとって手続きをしようとしたとき、私の心は突然曇ったっけ、いやそれどころじゃなかった、電気が消えたように真っ暗になったのよ。
あれは紛れもなく絶望的な気持ちだった。
なぜならあの女子高生は近くに在る有名進学校の生徒だったから。
顔は綺麗で賢そうで、その上清潔感もあり、どこか良い所の品行方正なお嬢さんという感じだったから。
彼女が買おうとしたのは表紙がビニール製の英語の辞書だった。
だが実際に、彼女がレジに持ってきたのは表紙が皮製の千円高い方だった。
つまり彼女はカバーと書札を取り替えて持ってきたということね。
皮製の辞書を安く買おうとして。彼女は清純そうな顔をして詐欺を働こうとしたのだ。
あのとき私はこのことを店長に報告すべきかどうか迷った。
そして結局しなかった。
なぜなら、もしそうすれば、彼女はたくさんの人たちの好奇の眼にさらされ恥辱的な思いをするに違いないと思ったから。
それだけではない、このことが学校に報告されたり、噂になったりして、彼女の将来に悪い影響を与えるに違いないと直感したからなのよね。
それで私は、彼女のやったことに全く気づかなかったことにすれば、良いのだと思ったのよね。でも、後でそのことが店長にばれたのね。
私は呼びつけられ激しく怒られたんだっけ。
なぜ報告しなかったのかと。
たしか、私はあのとき忙しすぎて気づきませんでしたと嘘を答えたんだっけ、でも店長は、事前にこういうことあるから注意するようにと言っていたろうと激しく怒鳴ったっけ。
私はそんなに悪いことをしたのかと思いながらも、そのときの暗く曇った心は決して晴れることはなかったっけ。
その主な原因は、私が気づいていながら知らない振りをしたからに違いなかった。
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その後わたしは、私の思い違いかもしれなかったが、店長から信頼されていないように感じるようになり、なんとなく居ずらくなり、その書店を辞めたんだっけ。
あの時私はどうすればよかったのだろう。
あの女子高生のやったことは紛れもなく悪いことなのだから、悪いことは悪いこととして、情け容赦なく冷静に処理すべきだったのかもしれない。
でも私には出来なかったっけ。
あまりにも考えられれないことに衝撃を受けたから。
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もしかして私には、社会で起こる色んなことに対処する能力がないのかしら。
このまま摩擦やトラブルがあるごとに、気が滅入ったり不安になったりして生きていかなければならないのかしら。
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まさか、いや、ちがう、ちがう。
そんなことありえない。
なんとなく不安だからそんなことを思うだけ。
気の迷いよ。
冷静に考えれば、そんなことはハッキリしているじゃない。
私が夢遊病者なら判らないけど。
でも、そんなことはありえない。
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こういうことなのね。
今朝、夫が放火犯人のことを言ったとき、私の心が曇り上の空になったのは、決して私がその放火犯人で、良心の呵責を覚えたからではない。
私にも、里奈の幼稚園に対する不満がない訳でもなかったから。
そこで、その犯人の気持ちがまったく判らない訳でもないと感じたからなのね。
その不満とは、ちょっとした行き違いから生じた心のしこり程度もので、心の曇りまで発展するようなものでは決してなかったから、私は絶対に放火犯人にはなりえないのだ。
なぜなら、私はそれほど感じやすくもデリケートでもなく、心のしこりがいとも簡単に心の曇りへと、さらには心の闇へと変化してしまうような性格ではないからだ。
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でも、それは今日までのこと、正直言って、これからの私にはその自信がない。
もし、私が私の性格が変るくらいトラブルと嫌なことで追い詰められたら、私もきっと放火犯になるに違いないと思うからだ。
だって、最近どういう訳かしら、真っ青な空や、真っ赤な夕焼けを見たりすると、いつもイライラするくらい寂しく不安になるのだから。
十代のころはこんなことは全然なかったのに。
こんなことを感じるのは私だけかしら。
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他の人はどうしているのかしら。
私にはこんなことを相談できる親しい友達はいない、親に相談するほどのことでもないし。
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今日はほんとに良い天気だ。
外はきっと青空なんだろうな。
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私はこれからも嫌なことや解決不能のことがあったら、とにかくそこから逃げては、いつもモヤモヤとした気持ちを抱えたまま生きていかなければならないのかしら。
はあ、将来のことを思うとなんとなん不安になる。
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アッ、いけない、いけない、私また考え込んじゃってる。
これじゃますます落ち込むだけじゃない。
私何か悪いことをしてみんなに迷惑かけているわけでもないのに。
今の世、流行り廃りは当たり前、今までいっぱい見てきたじゃない。
つぶれたと思ったら、すぐ新しい店が開店していたじゃない。
それなりに皆うまくやっているのよ。
私がそんなこといちいち心配することないのよ。
私とは関係ないことよ。
私は私なんだから。
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たしかにそうなんだけど。
でもね。
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最近、私はこんな怖い夢を見る、頻繁に。
なんとなく目覚めると、両方のおっぱいが無くなっているのに気づく、見ると鋭い刃物で切ったようにオッパイが横に落ちている。
私は急いでそれらを拾い上げ胸に押し当てる。
再びくっ付きます様にと必死で願いながら。
これが夢であってくれれば良いなと思いながら。
それからこんな夢も、髪の毛が悪い病気にかかったかのように、バッサリと抜け落ちる夢も見たっけ。
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どういう意味なんだろう、本当に不安になる。
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いや、ちがう、ちがうわ、私を不安にさせている本当の理由はこんなことなんかじゃない。
あれよ、あのことよ。
子供のときからときたま体験したあの奇妙な感情のことよ。
普通人間は、子犬や子猫を見ると、可愛いと言っては撫でたり抱き上げたりする。
私にもそんな感情はないわけではない。
でも、そんな可愛らしさが限度を超えるというか、子犬たちが、自分たちは可愛いから、可愛がられて当然という風なそぶりを見せたりすると、私は逆にイライラして無性に憎たらしくなる。
そして撫でるどころか、指でハジいたりツネったりしたくなる。
・・・・・・・・・・・・
いや、それだけじゃない。
苛められたりして弱々しそうに鳴いていたりすると、猛烈に怒りがこみ上げてきて、守ってあげるどころか、かえってさらに苛めたくなるときがある。
あれはいったいどういうことなんだろう。
・・・・・・・・・・・・
私はこのことを大人になるまで誰にも言わなかったし、それほど気にもしていなかった。
だが最近里奈に対しても、そんな感情を時折覚えるようになった。
最初に感じたときは、もの凄くショックだった。
もしかして私は我が子を愛していないのではと思ったりして、暗く落ち込んだ。
今までそういうことが二度三度とあったから、おそらく、これからもきっとあるに違いない。
今のところはまだ理性的で居られるが、そのうちに里奈を本気で怒鳴ったり叩いたりするかもしれない。
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いや、ちがう、あのとき、怒鳴ったわ、叩いたわ、、、、、
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私って今とても冷たい気持ちになっている。
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これからのことを思うと、なんとなく怖い、とても不安だ。
・・・・・・・・・・・・
他のお母さんたちにもこんなことがあるのかしら、聞いたこともない。
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なんか私って最近人に会うのとても避けているみたい。
・・・・・・・・・・・・
こんなことで私は社会にも家族にも役立つことができるのかしら。
私って本当に家族のために役立っているのかしら。
私にはみんなと違って特別に良い所とか悪い所があるとは思っていない、かといって特別な才能や取り柄があるとも思っていない。
それに私は、夫にも子供にもこれといった特別なことは何もしていない。
たぶん普通に、平凡に、世間では当たり前と言われていることをしているだけだ。
それほどいい妻でもいい母でもない。
それだからなんだろうけど、夫は、私に対してほとんど不満は言わない、その代わりこれといった褒め言葉も言わない。
・・・・・・・・・・・・
そうなのよ、それは確かにそうなんだけど、、、、、、、
でも、、、、、、、あれ、あれは、今朝も言った、いつも独り言のように言う、
「どんなに嫌なことがあっても家庭に笑い声があれば頑張れるんだよな」
という夫の言葉、もしかしたらあれは、私に対していった間接的な褒め言葉なのかしら。
今までは、私も夫に対してこれといって不満を言ったこともないし、改まって感謝の言葉を言ったこともない。
でも内心はとても感謝しているから、夫の前では笑顔を絶やさずいつも明るく元気に振舞うようにしている。
ということは、夫は、そんな単純なことに感謝していたのだろうか。
なんかとても意外な感じがする。
ちょっとしたことが人を元気付けるなんて。
・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
そういえば昨日、私は八割引きの閉店セールをやっている洋服店に行った。
そうしたら、それまでの店員たちはみんな以前と変ることなく応対していた。
自分が働いている店の最期を見届けるなんて、私だったらきっと苦痛になってやめてしまうのに。
それを見て私は、なぜかホッとしたような暖かい気持ちになったっけ。
みんな笑顔でがんばって最後まで見届けるつもりなんだろうと思ったから。
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・・・・・・・・・・・・
えっ、まさか、もしかして、、、、、
もしかして、今朝、夫が言った、
「笑顔で励まし元気付けてくれる人」
っていうのは、私のことを言っているのかしら。
私は、そんなつもりで普段、夫に接している訳ではないのに。
こんな私でも役に立っているということかしら。
・・・・・・・・・・・・
そうなのよね。きっとそうなのよ。
私って決して怠け者じゃないのよね。
決して仕事が嫌なわけじゃないのよね。
仕事をするなら、私の意欲や責任感が必要とされるような、やりがいのある良い仕事をしたいと思っているだけなのよね。